あこがれモダン

身軽に生きたいと思う今日この頃

どう着たいか?

2008-04-25 19:30:43 | kimono
着物を着始めた頃は、ただ着物が着られれば楽しかったし嬉しかった。
最初は右も左もわからなくてもだんだん着慣れてくると自分は
どういう色柄の着物が好きとか似合うとか、はんなり系が好きだとかモダン系が
好きだとかもわかってくる。

もっと時間がたつと自分は着物をどういう時に着たいのか?という方向性も
考える余裕が出てくる。毎日着物でフネさんのように着たいのか、
Gパン、ワンピース、着物と言う風にワードローブの一つとして着たいのか?
普段着として?外出着として?礼装として?癒しとして?勝負服として?戦闘服として?
・・・でもまぁ、ここまではわかりやすい。
では、どういう時に着物を着るにしても「自分はどう着たいのか?」・・・これが難しい。

先日この事を考えた時、私は「きれいに着たい」と答えた。
でも「きれいに着る」とはどういう事か?


「美しいキモノ」のグラビアのようにシワ一つなく着たいのか?NO。
着付けの先生のように半襟何cm、おはしょり何cm、帯の高さはミスはここ
ミセスはここ・・・と厳密に着たいのか?NO。

では、私の思う「きれい」とはどんな物だろう?
・・・考えた結果の答えは「自然体」。
着物に着られているのではなくあくまで着物を着ているのは自分。
多分写真では本当のよさが伝わらないであろうその人が動いてこその美しさ。

半襟が左右対象じゃなくても、お太鼓が多少曲がっていようと
そういう事は気にならないしそれを含めての美しさ。
もちろん部分部分を見れば失敗かも知れないけれどトータルでその人の
雰囲気に合っていてそれすら魅力になる「きれい」。

例えば木樹希林。彼女がテレビに着物で登場する時はそれはもうざっくりと着ている。
着付けの先生が見たら卒倒しそうなほど(^_^;)
それでも彼女はかっこいい。なぜなら「着たらそうなった」のではなく「彼女がそう
着たくて着ているから」だと思う。彼女はどう着るか選択しているのだ。
なのでいくらかっこいいからといってそうそう真似できる物ではない。

決して着付けがうまくいかなくてもいいという言い訳ではなく
細かい事にばかり気をとられてせっかく着た着物を楽しめないのは
もったいないと思ったので。(最近気にしすぎた感が・・・)
こちらの着物美人達のように着られたら最高だろうだけど
見ている分には本当に好きなんだけど自分で着るには女っぽすぎて無理

ブログをやってると写真をたくさん撮るし後でじっくり見返すから細かい事が
目に付いてしまうんでしょうね(^_^;)
理想だけが一人歩きして現実がついていかない。
いい面もたくさんあるけど本末転倒にならないようにしないといけないなぁと
思う今日この頃。細かい部分ばかり見ないで全体を見なくては!
・・・なぁんてやっぱり言い訳かな(笑)?

なんだか変&長い文章になってしまったけど私の覚書に・・・。
お付き合いくださった方ありがとうございますm(__)m

日々の励みにワンクリックお願いしますm(__)m
にほんブログ村 ファッションブログ 着物・和装へ

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする