先日、夫と東京の目黒にある大鳥神社にいきました。
子供の頃、転勤族だった夫は大阪の堺市で生まれ大鳥神社にお宮参りしており、また、奈良の生駒に住み近くの神社のそばでザリガニをとって遊んだらしいです。ほのぼのとした昭和の少年ですね。。
関西の神社はそういう思い出が詰まっているみたいで再訪したいみたいですね。
目黒大鳥神社
大鳥稲荷神社
我が家の氏神様である大國魂神社にも、大鳥神社は摂社としてあり、不思議とオオトリ様とは縁を感じます。
鳥は神話や昔話に出てきますね。私の好きな宮崎駿監督の映画にも。
千と千尋の神隠しのオオトリ様は何らかの理由でヒヨコのまま死んでしまったり、卵のまま生まれることができなかったヒヨコたちが神様になったという設定?みたいですが、
可愛く描かれるオオトリ様は、そんなこと気にしないような無邪気な姿で描かれています。
不遇な子供や幼くして命を落としたり、生まれてこれない命はいつの時代もいます。生きているって、それだけで有難いです。
大鳥神社の御祭神である勇敢なヤマトタケル命も最期は白鳥になって空に旅立つ話しがありますが、父に愛されていないという苦悩がありました。
色んな苦悩がこの世にはあります。
その苦悩が自分だけのものか、人由来のものか、、、。自分がどうかすれば無くなるのか、、、。否か。
卵の殻をやぶることができなかったり、
殻をやぶってでてきても、襲われてしまったり、
また、籠の中にとらえられたり、
籠の中で餌を与えて貰えなかったり、
餌だけ与えられたり、、
一方で、
殻をやぶり、籠から出て自然に生きて大空を悠々と飛ぶ鳥は、苦難はあっても苦悩は無いようにみえます。
自分の殻や籠が苦悩だとすると、それを取っ払うには時間がかかるかもしれないけれど、取っ払った先に広がる大自然を悠々と飛ぶ鳥のように、
色んなしがらみや殻や籠の網目に時に引っ掛かかっても、
自分なりに取っ祓って乗り越えていけば、そこには悠々とする本当の自分と出会える。
人生切り取らないで長くみたら何が良いかなんて解らないよ、、と長女と話しました。ニコッと、そうだよね、、と。
大好きなダンスを再開しました。
好きな事、自分が心から楽しいと思う事をして、のびやかに自分らしく生きて欲しいですね。
全ての経験や、挫折、困難や苦労でさえ、自分の血肉としながら。
苦難は生きていると遭ってしまうけれど、苦悩は自分が作ります。
千と千尋に出てくる可愛いオオトリ様。
オオトリ様の温泉に浸かる姿が可愛いです。
心の温泉につかりながら癒し、、綺麗さっぱり、苦難にあっても、苦悩をためないでいられるといいなと思います。
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