11月1日(水)
入院先の病院から私の携帯に着信がありました。
父が順調に回復に向かっているとの連絡でした。
心配していた食事もとれているとのことで、きざみ食を食べているとのこと。
『父はまだ生きていける』
そう確信し、母と私は良かった良かったと胸を撫で下ろしたのでした。
11月3日(金)
父の面会に行ってきました。
ナースステーションで面会の紙を記入している間に、看護師さんが車椅子に乗せた父を連れてきてくれました。
父は、私たちを見つけるなり笑顔で両手を大きくふりました。
思っていたより元気そうでよかった
…そう思って安心したのも束の間
父は私たちに声をなかなか出さなかったのです。
しばらくは、話しかけても声もなく頷くばかりでした。
「お父さん、しんどかったもんね。
死ぬかと思うくらいだったもんね。」
救急で運ばれて来た時、父は母に
「死にそう…」と言っていたことを思いだし声をかけてみました。
すると父はやっとのことでかすれた声をだしました。
「申し訳ないことをした…。
こんな風になるなんて…。」
父は小さく震えたかすれた声で、はじめて私たちに「ごめん」と言ってくれました。
お酒のこと?と思いましたが
そうではありませんでした。
父の頭の中はどうやら40才代
勤め先の仕事でとても責任のある仕事をしていたようです。
環境問題に関わる仕事をしていたのを思いだしました。
汚染水や泥水を浄化させる装置を設計したりする仕事をしていたのです。
父の勤め先は家族経営で社長は父の義兄でした。
社員は父の他に何人か居ましたが、仕事のほとんどは父が中心となってやっていました。
そんな状況でしたから、仕事という仕事の責任の重さを一身に背負って頑張っていたそうです。
家では、そんな仕事の愚痴を母に沢山話をしてはお酒を浴びるように呑んでいたのです。
「あぁ、あのことかいな。
あの仕事は成功したやん。大丈夫やで。」
母がいち早く父の言っている意味をくみ取りました。
「いや、何かに感染したんや。
こんなに危ない仕事やと思わなかったんや。」
そう力なく声を震わせて落ち込む父。
「あぁそうや、社長は大丈夫か?」
義兄である社長はもう10年以上前に亡くなっていますが…
「…うん。元気やで。だから心配ないよ。」
そう母が答えました。
はぁーっと言って良かったというふうに胸を撫で下ろしていました。
それから
「だから、もうワシに会いにきたらあかん。お前らにうつしたらあかん。
もう早く帰ってくれ。」
と私たちに言いました。
父はいつもこんなに不安と隣合わせで仕事を頑張ってくれていたんだと思いました。
現場では危険な作業も職人と一緒にやっていたんだと後から母に聞きました。
「お父さん、お父さんは私たちにうつしちゃいけないって思ってくれてるんやね。
早く帰ってほしいなら、もう帰ることにするけど、また会いにくるからね。
何回も来るから。」
父の気持ち(思い込み)を否定しないように、でも見捨ててないよってわかるように
声をかけて帰りました。
家に帰って布団の中で沢山泣きました。
父の力ない姿に、勝手に傷ついてしまいました。
お酒を飲み過ぎなければ、いいお父さんやん‼️
なんであんなに私たちが止めても飲み続けたんやっ‼️って。
ごめんって言えるなら、
酒を呑んでは母や私たちを威嚇していたあの時に言って欲しかった。
せめて、いつも苦労をかけていたって
お母さんには謝ってほしかった…
こんなに、痩せほそって
人生に落胆している父を
施設にいれるしかない今を
どうしたらいいのか
どうしようもない今を
受け止める覚悟を泣きながらでもしていくしかありません…
そして
次会うときには父に
今まで頑張って働いてくれてありがとうと言いたいです。