娘とすずめの戸締りを観てきました。とても良かったです。君の名は、天気の子、共に強いメッセージがありましたが、それらにも劣らず非常にメッセージの強いものがありました。
ネタばれになると良くないですので、観る予定の方は、これ以上読まないでください。
沢山メッセージがありましたが、要石(猫のダイジン)や3本脚のイスなど主人公すずめのそばに出てくるキャラクターについてだけ、書いてみようと思います。
娘が映画を見終わったあと、要となる常世は、過去、現在、未来が重なって存在する場所なんだね、といいました。
カナメ、要点をずばっと語っているなぁと思いました。
三本脚の椅子からは、鼎(かなえ)をイメージしました。三本脚の青銅器です。火に風をおくり、水をいれて煮炊きします。水と火を交わらせるもの。
鼎の説明については、もともとは肉、魚、穀物を煮炊きする土器として使われていたもののようですが、祖先神を祀る際にいけにえの肉を煮るために用いられたことから礼器の地位に高められ、精巧に作られた青銅器の鼎は、国家の君主や大臣などの権力の象徴として用いられたものです。
鼎に紐付けられる、いけにえ、大臣、がこの物語にでてきます。猫はダイジンと呼ばれます。
三本脚のイスに変えられた宗像ソウタは、イケニエのように円錐形の山の頂上で氷にかわり、火で燃えさかる山を氷(水)になって、おさえる要石になります。
それは、まさにイケニエ。一人の命で百万を救うのです。
昔、コノハノサクヤヒメが燃え盛る富士山に身を捧げる話(神話では燃え盛る火の中で子供を産む話となっていますが、)と少し重なりました。人身供養、イケニエは古代災害を鎮めるために実際なされましたから。
すずめは、もともとあった要石を抜いてしまい、その石はダイジンと呼ばれる猫に変身して、地震が多発してしまいます。
猫は、禰󠄀子と音が同じで、「神主」を表すのです。猫も杓子もは、猫が禰󠄀子(神主)、杓子は釈尊の弟子、つまり僧侶のことです。すずめの抜いた猫の形の土偶のような石が禰󠄀子で神主としてその地を鎮めていた重鎮だった!?という伏線を映画館で気づき、なるほどなぁと妙に納得していました。単なる空想かもですが😅
すずめは、小さい石、ネコの形の要石を抜くわけです。その小さな石はすずめの幼少期の悲しみの意識で、幼い頃母を探して一瞬入った常世で預かった鼎のような三本脚のイスと、現世を結びつけます。
ヒトの意識が要石になります。意識は、過去も現在も心では区別がないのです。
すずめが抜いたネコの形の石は、それまで幼少期のすずめの心象風景と重なる廃墟のような地でずっと要石として九州を抑えていました。
人の想念や意志、意識を要石として描き、それが抜かれたから、動くネコ(禰󠄀子🟰神主)として描いたのかな。
ダイジンの言霊は、三本脚の鼎に象徴される大臣の意味もあり、また、大神、の響きもあります。
三本脚に姿を変えられた宗像ソウタは、常世と現世の扉を締める鍵をもつ閉じ師。
昨日小袋石について書きましたが、要石と呼ばれる石は、神社にいくとあります。有名なのが鹿島神宮の要石で、宮崎の高千穂から運ばれています。関東の地をおさえる石が九州から運ばれています。ここに、壮大な古代からの人の攻防などを感じます。
また、小袋石についていうと、太古、八ケ岳が噴火して長野に飛んできてそして、中央構造線と、フォッサマグナの十字に交わる所で、日本をおさえています。
小袋石の割れ目は女陰のようですが、この石から7つの子石がわかれ、また山深い長野の重点に置かれ、鎮めている、まさに重鎮のお役目を果たしています。
映画でネコは2匹でてきますが、2匹目のネコ🐈⬛は、幼いすずめを引き取って育てた玉環さんの思い、意識、をあらわしていました。
玉環さんの意識には、複雑に絡み合って重くなったものもあり、しかし、根っこは愛でした。玉環の意識が怒りや悲しみで爆発した時、意識はネコにかわり、さらに大きな災害の要素になりました。
タマキの名前から、玉置も重なります。玉置神社には3つの石があり、玉石社がこの地の最大の霊地のようです。石を鎮める、石を置く。石に見えて、玉だから、玉置なのか。
ヒトの意識は石のように🪨重くなって、そこに住む地に溜まります。玉のような思いはその地を鎮めるのかもしれません。ヒトの思いの蓄積が過去、現在、重なり、未来となる。そして災害も生み出してしまうとしたら、一人一人が想念の大切さを意識して生きていかないとイケナイのかもです。
太古は山そのもの、湧水がコンコンと流れて尽きない地、また磐座や巨木を御神体として人々は祈りを捧げました。
それは、自然そのものに神を見て、そしてヒトのイシ気にも自神に通じるものがあり、大いなる森羅万象の中でしか生かされてイケナイ個の小ささと、しかしながら依り集まって意識が石や玉のように積み重なり輪廻して、一方では重なって存在していることを感じていたのかもしれません。
映像の美しさも感嘆するものでしたが、映画に込められているメッセージの強さを、娘と帰路話ながら帰りました。
お母さん、この映画好きだなと思った。と見終わった瞬間に言われました。
どうして?と聞くと、
だって、神様色強いもん、、らしいです🤭
○○も好きだよね?と聞くと、
うん。と笑って言っていました。😄
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