MICHAEL JACKSON Part3 【HIStory JAPAN TOUR 1996】
ヒストリーツアーは、私がマイケルを生で見た最後のライブ。ワールドツアー自体が結果として最後でしたし、私に限らず、多くの人は同じでしょう。
今までの人生の中で最も泣いた…嗚咽に近い状態になってしまった唯一のライブでした。
1996年からさかのぼること数年、東京でのデンジャラスツアーが終わり、スーパーボウル・ハーフタイムショー、オプラ・ウインフリーショーに出演し、さらにツアーを継続して福岡に来ることが発表され、活動は継続していましたが、1993年8月、これまで築き上げてきたスターダムのすべてが崩れ去るような、性的虐待疑惑の騒動が勃発します。
日本のワイドショーも連日取り上げていて、ファンであることを公言し難くなってしまう「惨状」でした。マイケルへ嫌悪感を持つ人が急激に増えていったことを肌身で覚えています。
マイケルの悲痛な表情にこちらも胸が痛かったです。
1995年、「HISTORY PAST, PRESENT AND FUTURE BOOK I」が発売され、翌年の12月に開催されたジャパンツアーは、東京ドーム4回、福岡ドーム2回。日本のバブル期はとうに過ぎ、件の騒動で少なからずファンも失い、回数としては妥当と思ってました。
ところが東京ドームの2階席は、ぞっとするほど空席が目立っていて「数年前に見に来ていた奴ら、どこに行きやがった!」と、小市民的怒りの感情も。
開演。オープニングの映像が長いかな? なんて思いながらも、マイケルが登場すると、突然涙があふれてきて、日本語で「アイシテマース」と話すたびに涙の勢いは増していき、前述したとおり嗚咽状態になってしまいました。
思うに涙の内訳は、極端に吹き荒れた逆風で苦しかったであろうマイケルが元気になってくれたことに対する安堵感で70%。残り30%は、マイケルの、特にライブ活動の「終わりの始まり」を感じてしまったこと。それによる先走った喪失感。
「元気になって嬉しいけど…ライブを生で見るのは今日が最後かもしれない」
どう見てもマイケルのパフォーマンスは、デンジャラスツアー前半に比べ極端に低下していました。
ビリージーンがリップシンクになっているとは。リップシンクはほかの曲でも昔からやってましたが、まさかビリージーンにまで。コーラス含めてマイケルの声が元になっているし、それはそれで聴きやすいんですけど。モータウン25の時も「まんま」原曲を流してましたし。
終了の時、たしかマイケルが舞台からスッと消えてしまったんです。デンジャラスツアーのトースターと逆のパターンで。
勝手な僕は、またメンバーと一緒に並んでくれるだろうと思ってたので、自分の中でちゃんと挨拶ができずに終わってしまった!っていう、わけのわからん後悔の念も湧き上がってしまった東京最終日。結構寒い冬の日の出来事でした。
第1話 MICHAEL JACKSON Part1 【グレイテスト・ヒッツ】
第2話 MICHAEL JACKSON Part2 【DANGEROUS WORLD TOUR IN JAPAN】