今の人たちは手をあげたりキツいことを言ったりすると「暴力だ」「パワハラだ」とすぐに問題にするが私的には違う意味で「あの頃の方が良かった」と感じる時が多々ある。
先に言っておくが私は暴力や暴言を認定しているワケでではなく、これから書くこともあくまでも個人の意見なので念の為。
今の人は「言えばわかる」という前提で暴力や暴言を否定しているのだろうが、私的には「言葉でネチネチと普通に言われる方がダメージが大きい」と感じるのだが。
昔は行き過ぎた暴力や暴言はあったとは思うがその時だけの表現方法で後まで糸を引かないのが常だ。
だからその後一緒に食事したり飲みに行ったりできた。
簡単に言えば「後味スッキリのわだかまり無し」って事だろうか?
しかし、今の人たちの表現方法は「粘着質に言葉でネチネチと繰り返す」のが主流なんだと感じる。
だからダメージが蓄積されて堰を越えたら大問題に発展してしまう。
また、村八分が今の世でもまかり通っているのも驚きだ。
これでは精神に異常をきたすのは当たり前で、だから「痛がりな人」が量産されているのではないだろうか?
まあ、これはあくまでも私の意見なのでこれで世に問題提起しようなんてサラサラ思ってないのだが、もっとしっかりコミュニケーションを上手くやればいいのにねと感じてるワケだ。
仕事やプライベート、あるいは趣味や勉学に至るまで「怒り方」や「怒られ方」があるわけで特に若い世代は「怒られる役回り」になるのは仕方のないこと。
「怒られたことの無い人に怒られる」のは悲劇としか言いようがない。
そんな人たちもお笑いは大好きなのに「笑いの本質」をわかってない。
そもそもお笑いとは「他人を卑下する行為」でランク下の人に対しての嘲笑から始まる。
職業芸人はワザとランクを下げることができる人たちのことをさす。
タレントにしても同じ事が言えるだろうね。
暴力暴言は許さないのに他人を卑下するお笑いは許されるとはまったくもって意味が通らないのが今の人なんだろう。
「人は他人と比べたがる」のは性だとしても人権云々と言うのならちゃんとした本質を見極めて上手くコミュニケーションを図るべきだと思う。
こういうことを物申す人が周りに居ないとか出会ったことがないとかはある意味不幸でしかないのかもしれないね。
以上、私の勝手な独り言でした(笑)
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