いよいよ高校野球甲子園が開幕された。
今考えてみれば、長男が幼稚園に行く頃から、息子が
この場所に立ちアナウンスされる事を夢見て小学1年生から
地元学童野球に入部させた。
今考えれば、怒る事しかしなかった僕・・・
人と比べ・・・我が子を非難しては特訓・・・
野球が楽しいなんて思いもしなかっただろう。
とにかく焦り・・・その日その日で言う事が変わり
息子の野球を否定し続けた。
バッターボックスに立つと、指導者より僕の顔色を伺う息子
その息子に身振り手振りでアドバイスを送っていた・・・
そんなんで野球が出来る訳が無い。
野球自身は自分で考え指導者のアドバイスを受けて
成長するもの・・・それを言葉は悪いがおもちゃのように扱っていた時期。
中学になりオールスター福井に入部しても
人より身体が小さい事を悲観して家でガミガミ・・・
試合で
「なんであんなクソボール打つんや」
「ヒットエンドランやった」と言う息子に
「あの場面でないやろ~と指導者を否定」
何もかもが焦りから歯車が狂った・・・
高校に行き、もう口出しできなくなり段々と成長してった息子。
小中学生の野球小僧を今育てている方々へ・・・
誰もが夢見るでしょう・・・甲子園。
あの場所に自分の息子が立つ姿を想像したいでしょう。
しかし、焦りは禁物です。
子供は一歩一歩知らず知らずに成長してるのです。
成長した部分は中々見えにくいものでしょうが
とにかく人と比べない・・・自分の子は自分の子
人がホームランを打ててもそれはそれ
親が焦れば焦るほど子供にも伝わります。
昨日ネットで「宿命と運命」を調べました。
一般に「運命」とほぼ同義語として「宿命」が用いられているが、
ふたつを分けて考える人もいる。
この場合、「運命」は努力次第で変えることができるが『宿命』は
生きているものが必ず死ぬように変えることのできない
絶対的なものとされていることがほとんどである。
運命=運・・・甲子園に呼んでもらえるように「運」を掴める
人間に育てて下さい。
親も子供も先ずは、落ちているゴミから拾いましょう。
日頃の行いが良ければ必ず良い「運」が導かれるでしょう。
今一度、親として「木の上に立って見る」事から始めては如何でしょうか。
親は永遠のコーチであれば良いですが、それは技術的な事でなく
心のコーチになるのが良いでしょうね。
今日は説法じみたブログになり申し訳有りません。
もう僕は自分の息子が甲子園に立つ事を見ることは出来ません。
しかし、今から野球を始める方々はまだまだ夢見る事が出来るでしょう。
羨ましい限りです。