昨日の、甲子園準々決勝4試合・・・智弁和歌山戦は大差での試合で終わったが
残りの3試合は、鳥肌が立つ3試合だった。
地元敦賀気比高校は、悔しくも準々決勝敗退となったが、均衡した白熱した試合だった。
それよりも凄かった名勝負
智弁学園VS明徳義塾戦・・・
明徳の、左腕変則投手にてこずり、全くタイミングが合わない智弁打線。
9回にドラマが起きた・・・明徳 代木君のホームラン・・・更に智弁ピンチ
ここで、感じた事があった。
1アウト1塁・・・サインは間違いなくヒットエンドラン・・・梅原君は、内角高目のボールを空いた一二塁間に上手く転がしてチャンスを広げた。
あのボールをあれほど上手く、逆方向に・・・馬渕監督の恐ろしい采配だ。
結果は、満塁で強行して1点止まりだったが、監督の指示を的確にこなして行く明徳ナインに脱帽だ。
最後は、ドラマだった・・・まるで田舎モノの光衛門さんが、水戸黄門様に成り代わったようなサヨナラ劇だった。
そして4試合目、神戸国際の9回の同点に追いつく場面・・・奇声を発してしまった。
昨日も書いたが、勝者が居れば敗者が居るのが高校野球。
敗れたと言えども、敦賀気比高校、明徳義塾、神戸国際大付属は立派な試合を見せてくれた。
これぞ高校野球!
プロ野球とは違い、1度負ければおしまいの緊張感が伝わった3試合だった。
結果は
京都国際(京都)VS智弁学園(奈良)
近江高校(滋賀)VS智弁和歌山(和歌山)
と全て近畿勢となった。
明徳の馬渕監督が最後にぼやいたそうだ。
「長い、遠征で遠方組みは練習場所が無い」と
確かに、甲子園期間中は全て兵庫の地元とて、高野連が定めた宿舎に泊まる事になる。
今までなら、練習場所(大学のグランド等)の割り当てもあった筈だが、コロナ禍により練習場所の確保が出来ないのでは無いかな?
しかし、近隣地区なら、学校グランドに戻っての練習も出来る。
実際に調べた訳では無いが、雨天中止が長引く中、精神的にも苦労はした筈だ。
明日は、いよいよ準決勝
ひょっともすると、明後日の決勝戦は智弁対決になるかも・・・見物ですね。
さて、昨晩今井君のお父さんからLINEを頂いた。
息子から感謝の気持ちを伝えられたそうだが、多分今井父母は涙しただろう。
僕も思い出す。
昨年、福井県独自大会優勝で終わった後に、
「3年間本当に有難うございました」とLINEが届いた時には、声を出して涙した事を・・・
そして、最近知ったのだが、息子の帽子のツバの裏には、「家族への恩返し」と書かれていた事を・・・
高校3年生の保護者の皆さん・・・息子のユニホーム姿をもう見れないと思うと寂しいですよね。
しかし、皆さん目を瞑れば見えて来ますね・・・息子のユニホーム姿・・・一生の宝物です。
今井士温 春夏連続甲子園出場有難う!
これから、帰省したらオールスター福井の後輩育成のお手伝いをしてくれよ。
待ってるぞ!
さてさて、そろそろ新入部員の募集をする時期になった。
我々が、目指すのは、子供が高校進学した際に、即戦力となる選手の育成です。
募集定員は10名以内
甲子園に行くぞ!と強い気持ちを持った選手を強く募集します。
詳しくは、又ホームページで報告します。
最後に又々長くなりますが、読んで下さい。
「孝行球児」
~父から君へ~
少年野球で・・
同じユニフォームでグラウンドに立っていた。
グラウンドではコーチと選手。
我が子だからとグラウンドで厳しすぎたかな
と父が反省することもあった。
反省会は決まってお風呂で・・
お風呂を出る時に父子に戻っていたあの頃・・
中学野球で・・
同じユニフォームでグラウンドには立てなかったけど、
審判や草むしり・・
我が子が使うグラウンドでお手伝いをすることだけでも充実していたあの頃。
行き帰りの車が唯一の会話できる場所だったけど・・
疲れて寝ていたり、年頃のお子さんと少しずつ会話がなくなっていったこともあったね。
「男」と「男」を意識してしまい少しずつ会話がなくなっていったあの頃・・
高校野球で・・
もう同じグラウンドに立つことも出来なくなり…
スタンドからしか君の野球を見ることが出来なくなりました。
でも・・
小学生から高校生までずっと変わらなかったことがあります。
野球をしている君を『見る場所は』違っていても、父は君の「野球」をずっと見てきたこと。
それだけで、父は幸せだった。
そして・・
その『見る』ことも最後になった高校3年生の夏。
高校野球の最後に息子が咲いた場所は、ベンチかもしれないし、スタンドだったのかもしれない。
だけど、父は、我が子だけに当たるスポットライトをしっかり見ていたはずです。
高校野球最後の日こそ、我が子を「見て心に留める」
その「見留める」が本当の意味で我が子を「認めた」日になったから。
高校野球を最後まで続けてくれた君に心から
「有り難う」
君は自慢の息子です。
『息子』・・自分の心の子と書きます。
いつか高校野球のことを思い出話として一緒に酒が飲めるのを楽しみにしています。
~母からあなたへ~
あなたが野球をしたいと言い出した日から・・
服はブランド品から
チームTとジーパンへ変わりました。
あなたが野球をしたいと言い出した日から・・
靴はヒールから
スニーカーへ変わりました。
あなたが野球をしたいと言い出した日から・・
深夜まで遊んでいた週末は
平日より早く起きる週末へ変わりました。
あなたが野球をしたいと言い出した日から・・
流行りの歌にはついていけなくなったけど
応援歌には詳しくなりました。
あなたが野球をしたいと言い出した日から・・
恋愛小説ではなく
栄養学の本をたくさん読むようになりました。
あなたが野球をしたいと言い出した日から・・
お化粧にかける時間も少なくなり
シミも増えました。
でも・・
あなたが野球をしてくれていたおかげで
お化粧より素敵な笑顔が増えました。
一つ一つのシミもあなたと私の野球史の証。
野球のルールもわかるようになり
スコアまで書けるようになりました。
人前で話すことが苦手だったのに
アナウンスも出来るようになりました。
あなたを夢中にしている野球を少しでも知りたかったから。
私はバッターボックスに立てません。
マウンドにも上がることは出来ません。
だから…
あなたが帰ってきて元気がない時に…
あなたの大好きなおかずを明日のお弁当に入れておこう。
泥泥になったあなたのユニフォームを真っ白にしてあげよう。
言葉をかけることが難しくなってきた年齢だから、お弁当やユニフォームに私の「願い」を込めてきました。
私はあなたを応援することしか出来ませんが、あなたを応援できることが何よりも元気の源です。
高校野球最後の日に・・
グラウンドだろうとベンチだろうとスタンドだろうと…
一生懸命がんばったあなたを誇りに思っています。
がんばったあなただからこそ…
最後は…
置かれた場所でめいいっぱい大輪の花が咲いたはずです 。
高校野球を最後まで続けてくれたあなたは
「高校球児」であり「孝行球児」なのですから・・