アメリカから日本へ弾丸で来ていたBFを空港で無事に見送り、私が前回まで投稿していた『Welcome to Japan』シリーズは、未完を決め込むことにしました。
私たちの別れにはいつも涙やロマンスはなく、軽くハグをして「またね」とお互い笑顔。別れのたびに泣いていたら涙がいくつあっても足りません。
*
彼を乗せた飛行機を見送った翌日、私は生まれ育った茅ケ崎に立ち寄り、両親と姉のお墓参りをしました。数年ぶりの訪問を反省しながら、久しぶりに両親と姉に手を合わせました。
手を合わせながら、「そうだ。私もBFのように思い出の場所へ行ってみよう。」ふとそんな考えが頭に浮かびました。
翌日に向かった先は、大雄山の最乗寺。道了尊とも呼ばれる山の中にある静かなお寺です。
よく訪れたという意味の思い出の場所ではなく、幼い頃の記憶にのこっている場所で、訪れるのは少なく見積もっても、およそ45年ぶりになるはずです。
美しい紅葉と長い階段が私を出迎えてくれました。
私が二十歳くらいのとき、「大雄山のお寺に行こうよ」と両親を誘ったことがあります。しかし、すでに体を患っていた父からの返事は、「あそこは階段が多いから、今のお父さんの体では無理だよ。」というものでした。
それ以降、訪れる機会もなく、私の記憶からも薄れてしまった大雄山の最乗寺。
父の言葉を思い出す階段の多さ。健脚な私は難なく登れますが、体力の衰えていた父には確かに無理だったことでしょう。
階段を登りきると、幼かった私の心に大きな印象を与えた数々の下駄。
この光景だ。
まだ本当に幼かった私に両親が、「どの下駄なら履けるかな?」と笑いながら語りかけてきたのを覚えています。あれからいったい何年経つのでしょう…
私はいまだに自分の夢や望みを形にできずにいます。
計画を立てているようでいて、現実の形として具体的には何も描けておらず、ただ闇雲に日々を駆け抜けている気がします。今の私に必要なことは、もう少し長い目で事の成り行きを見ることかもしれません。つまり、幼いころから何も変わっていないということ。これが持って生まれた気質というのでしょうか。
*
そういえば、途中で天狗に出会いました。
烏天狗と山伏姿の大天狗です。
神通力を持ち、自由自在に飛び回ることの出来る翼を持つ天狗。
未来を見据え、聞く耳を持ち、天狗のように自由に自分の行きたい場所へ行く。私は相変わらず目標設定があいまいですが、深く静かな山の中にあるお寺の境内を歩きながら、そんなことを考えていました。
私が幼い頃から苦手としていたもの、それは努力。この努力という力を私は人よりも使っていないはずなので、きっとまだまだ余力はあるはずです。憧れや見栄ではなく、自分の実力相応のところに目標を持ち、そこを目指して努力をするということ。
これが、今回のBFとの再会、そしてこの長い連休の中で私が見つけたものです。
もう一歩の努力。
そういえば、我が家のお墓の前でどこかのネコが日向ぼっこをしていました。
私の代わりにお墓を守ってくれているのでしょうか。もしそうなら、これからもよろしくお願いしますね。