スーパーの一角にフツウに売られている刀…!
アブなすぎ!!! かなりツボにハマって、
しばらく大爆笑しながら写真撮影をしていました。
どうやらこれは家で飼われてる鶏を捌くために使われるらしい。
さすが中南米。
そういえば、パナマの子に、「鶏が殺されるのを見たことない」と
言ったら超驚かれたのを覚えてます。どうやらあっちの人は
自分の食べる肉は自分で捌くのが当たり前のようです。
当然といえば当然ですよね。
アブなすぎ!!! かなりツボにハマって、
しばらく大爆笑しながら写真撮影をしていました。
どうやらこれは家で飼われてる鶏を捌くために使われるらしい。
さすが中南米。
そういえば、パナマの子に、「鶏が殺されるのを見たことない」と
言ったら超驚かれたのを覚えてます。どうやらあっちの人は
自分の食べる肉は自分で捌くのが当たり前のようです。
当然といえば当然ですよね。
グラナダの安宿にて、ドイツ人組と。
アメリカ人が多いコスタリカと違い、
ニカラグアではドイツ人が断然多かった気がします。
ドイツのハンブルグ出身のAnja (左)曰く、
「ドイツ人は生真面目でつまんない人が多いけれど
ベルリンの人はノリが良くて楽しい人が多いの!」
その期待に答えるべく、ベルリン出身のRoland(右)は、
かなりトークが冴えてて、いつも女の子のグループに入ってっては
いつの間にかちゃっかり輪の中心にいる、おちゃめな38歳。
私とアーニャにとっては頼りになるお兄ちゃんって感じでした。
アメリカ人が多いコスタリカと違い、
ニカラグアではドイツ人が断然多かった気がします。
ドイツのハンブルグ出身のAnja (左)曰く、
「ドイツ人は生真面目でつまんない人が多いけれど
ベルリンの人はノリが良くて楽しい人が多いの!」
その期待に答えるべく、ベルリン出身のRoland(右)は、
かなりトークが冴えてて、いつも女の子のグループに入ってっては
いつの間にかちゃっかり輪の中心にいる、おちゃめな38歳。
私とアーニャにとっては頼りになるお兄ちゃんって感じでした。
ニカラグアのグラナダの街にて。80年代まで激しい内戦があり、
経済が崩壊状態に陥ったニカラグア。90年からは再建が始まりましたが、
まだ失業率が高く、中南米一に貧しい国です。
どこを歩いても陽気なラテン音楽が聞こえてくるレオンとは違い、
グラナダは美しいながらもどこか寂しげで、ちょっと治安の悪い印象を受けました。
経済が崩壊状態に陥ったニカラグア。90年からは再建が始まりましたが、
まだ失業率が高く、中南米一に貧しい国です。
どこを歩いても陽気なラテン音楽が聞こえてくるレオンとは違い、
グラナダは美しいながらもどこか寂しげで、ちょっと治安の悪い印象を受けました。
ニカラグアの安宿で友達になったイリスと。
イスラエル人とオランダ人のハーフである彼女は、
イスラエルのキブツで育った。
キブツとは、イスラエル独自の相互扶助に基づく共同社会で、
社会主義理念の下で共同生活を行うコミューンみたいなものらしい。
そこで彼女は十代の頃から保母さんの仕事をしている。
彼女はイスラエルとパレスチナの紛争問題について、そして彼女が最近
終えたばかりだという軍隊での経験(イスラエルでは男女共に徴兵制度がある)
について話してくれた。
2年間の軍生活は厳しいながらも、かけがえのない仲間が沢山できた貴重な
経験だったという。「戦争には反対だけど、国を守らない限りは
どんどん犠牲者が出てしまう。軍隊がずっと私を(自爆テロから)守ってくれてきたから
今でも生きてるわけだし、私も恩返ししないわけにはいかない。」と言っていた。
オランダ人の母を持つ彼女は、幼い頃から両親に公平な世界観を教えられたという。
8歳の時、両親は彼女をパレスチナとの国境に連れて行き、こう言った。
「国境のむこうに見えるあの小さな家を見てごらん。あの家には君と同い年の
女の子がいる。彼女はパレスチナ人だけど、君と何も変わらない人間なんだよ」と。
イスラエル人とオランダ人のハーフである彼女は、
イスラエルのキブツで育った。
キブツとは、イスラエル独自の相互扶助に基づく共同社会で、
社会主義理念の下で共同生活を行うコミューンみたいなものらしい。
そこで彼女は十代の頃から保母さんの仕事をしている。
彼女はイスラエルとパレスチナの紛争問題について、そして彼女が最近
終えたばかりだという軍隊での経験(イスラエルでは男女共に徴兵制度がある)
について話してくれた。
2年間の軍生活は厳しいながらも、かけがえのない仲間が沢山できた貴重な
経験だったという。「戦争には反対だけど、国を守らない限りは
どんどん犠牲者が出てしまう。軍隊がずっと私を(自爆テロから)守ってくれてきたから
今でも生きてるわけだし、私も恩返ししないわけにはいかない。」と言っていた。
オランダ人の母を持つ彼女は、幼い頃から両親に公平な世界観を教えられたという。
8歳の時、両親は彼女をパレスチナとの国境に連れて行き、こう言った。
「国境のむこうに見えるあの小さな家を見てごらん。あの家には君と同い年の
女の子がいる。彼女はパレスチナ人だけど、君と何も変わらない人間なんだよ」と。