真田幸村という名前は後世になって、真田信繁とおおっぴらに言えないので軍記物の仮名として使われたが、あまりに有名になりすぎて真田信繁の名前が忘れられて水戸黄門が「真田幸村じゃなくて真田信繁だからな!」って後で記録したくらい。#真田丸
— 一二三 (@nunonofuku123) 2016年10月9日 - 20:42
家康の孫がわざわざ「幸村ではない。信繁!!」って書き残してるとは、ちょっと面白いw「かつての敵に対する記述でも、歴史書は正確に!!」ってことかな。 RT
— TomokaAmari (@TomokaAmari) 2016年10月9日 - 21:02
「幸村」という俗称がどう生まれたのかもわかりません。「幸」が真田氏の本家海野氏の通字であることは確かで(実は真田氏の通字は本来「綱」、海野棟綱-真田幸綱-信綱)、近世真田氏がそれを重んじたのは事実なのですが、「村」がどこから来たのか、さっぱりです。
— 丸島和洋 (@kazumaru_cf) 2016年10月9日 - 21:00
さて、ついに「幸村」放映です。史実では、信繁が幸村と改名した事実はありません。討死前日に出した感状でも、「信繁」と署判しています。「真田丸」での設定も、改名ではなく、別に通名を用いることにしたというものです。
— 丸島和洋 (@kazumaru_cf) 2016年10月9日 - 20:56
この点は、制作統括の屋敷さんと堺さんがインタビューに答えておられますので、ご参照ください。「信繁という名前を捨てたわけじゃありません。通称として、大坂の陣に臨む時は幸村と名乗ったという設定です」(屋敷さん)
— 丸島和洋 (@kazumaru_cf) 2016年10月9日 - 20:57
sponichi.co.jp/entertainment/…
昌幸パッパはミキプルーンを持ったお館様がお迎えにきたのか、 ソルマック持って踊ってるお館様がお迎えにきたのか、ふと気になった。 #武田信玄 #風林火山 #真田丸
— のってぃーに (@nottchi_s) 2016年10月9日 - 12:24
失礼ながら。『ソルマック持って踊る』を見て、最初に「ど根性ガエル?なんで?!」と思ってしまいました(^_^;)すみません!! RT @nottchi_s: ソルマック持って踊ってるお館様 #武田信玄 #風林火山 #真田丸
— TomokaAmari (@TomokaAmari) 2016年10月9日 - 21:09
信繁を再び「戦いの日々」に誘うものが、父・昌幸を戦に駆り立てる軍馬の嘶きや蹄の音ではなく、太閤の鳴らす寂しげな呼び鈴、というのが良かった。「あまり好きではない」という戦の中にしか「真田信繁の生きた証」を残すことはできないのだ、という「己の宿命」を静かに見据えた感じがして #真田丸
— 道人 (@dojindo) 2016年10月9日 - 20:53
大河ドラマが振るわない年は「一年間のドラマなんて長すぎて今の人は見たい」とかいう声が必ず聞こえてきますが、今年は黙らせましたね。真田丸は一年かけないと成し得ない物語。
— 「平清盛」セリフ集 (@taiganokiyomori) 2016年10月9日 - 21:04
「壁も地震の時は、住宅上の階を支える」ってのは阪神淡路大震災以来、大地震のたびに時々聞くんだけどなぁ。知らない人がまだかなりいるとは。そして、マンションでもリフォームで下の階の部屋が壁を壊して広い部屋を作りまくったら、どうなるんだろうか。 #NHK
— TomokaAmari (@TomokaAmari) 2016年10月9日 - 21:21