季節の変わり目を私が何で感じるかというと、自然の移り変わりもありますけれど…
最近は「ぜんそく」です。
春先、初夏、秋の初め、初冬と、律儀に年四回、気管支ぜんそくがやってきます。
それがまた始まりました。寒くても、春は確実に来ているんですね……
季節は律儀に、必ず移り変わって行くけれど、日本の国は変わりませんね。
変わらなくてもいいことは、どんどん変わって行っちゃうんですけど…
変わった方がいいこと、変わらなきゃいけないことは、ほんとに変わらない。
いま「保守」を自認している人たちの、ある一派、それもいちばん勢いと力がある人たちのせいですよ。
安定した雇用とか、小さな自営業者が生きて行きやすい仕組みとか…
経済的な面だけでなく、知的な面でも、分厚かった「中間層」とか。
そういう、日本を豊かで安全な国にしていたものが、どんどんぶっ壊れてきたこの二十数年。
というか、政治がぶっ壊して来たこの二十数年。
小泉政権ぐらいから、少なくとも自民党政権は一貫してそうだったし…
民主党政権だって、東日本大震災から後は、そうでした。
そういえば安倍晋三氏も、竹中平蔵氏も、小泉政権下で政権内に入って、頭角を現したのでした。
こんな風に、保守したほうがいいものはぶっ壊してきたのに…
多くの人が幸せになるために、変えたほうが良いものは頑なに変えない。
変えないというか、1930年ごろから1945年までの日本を「取り戻す!」ということ。
この世界には日本だけが存在しているわけじゃないから、周囲の世界は全く変わっているのに…
はるか昔を振り返って、それを取り戻したって、周囲と不適合を起こすのは当たり前なのに。
この21世紀もだいぶ深くなって来た時に「教育勅語の精神を取り戻す」とか、ほんとバカなんじゃなかろうか。
まあ、保守ではなく「反動」。守るのではなく、今を変えて先祖返りすることを希求してるんですよね。
そういう人たちが、頑なに「後戻り」しようという圧をかけ続けるから…
自民党政権下では、自由で公正で寛容な社会を作る動きは、何も前に進まない。
ひとりひとりの「人の幸せ」よりも「集団の秩序」の方が大事なんだという考えですから、そうなりますよね。
結果、人生への絶望感や、自分は不遇だ、と感じる人が増えて、不満や恨みのガスが、マグマがたまりまくって…
それが爆発して、予測や制御ができない犯罪が増えたら「厳罰にしろ!」「極刑だ!」と言っていたら…
こんどは、積極的に死刑になりたい「無敵の人」なんてのまで出て来て、逆に社会は不安定化してます。
秩序秩序と言って、民草を締め付けるほどに、かえって安定が失われるという。
じゃあ、人が踏みにじられない、幸せになれる社会を作りましょう、という動きが起きても…
ことごとく「自称保守」の連中によって、骨抜きの、中味のない法律が出来て、はいおしまい。
ヘイトスピーチ、ヘイトクライムを禁止する法律も。
カルトによる犠牲者を救済する法律も。
最近盛り上がった、性的少数者の権利を守る法律も、この分だと全く前に進まないまま、大衆に飽きられ忘れられるか…
出来ても、ヘイトやカルトに関する法律が、実効性のないものになったのと同じに、ほぼ意味のないものになるかと。
みんな「自称保守」のせい。
数自体は、圧倒的多数派というほど多くないはずなのに、要所をおさえられちゃってますからね。
圧倒的多数の国民は、他人の不幸や不自由に対して、本当には関心をもたないし。
あえて「お上に物申す」というリスク(リスクだと洗脳されてるだけですけど)を取らないし。
これだと、何一つ変わらない。
黒人などの差別を解消しようとして、アメリカ合衆国で公民権運動を主導したキング牧師は…
「最大の悲劇は、悪人の圧政や残酷さではなく、善人の沈黙である」
と言いました。
マザー・テレサは…
「愛の反対は無関心です」
と言いました。
ほんとに、そうだなあと。
まさに私の、あなたの、「自称保守」が跳梁跋扈することへの「無関心」と「沈黙」がこの状況を作ったんです。
ここで「なーんだよ、キング牧師なんてほんとはなあ」とか「マザー・テレサの正体はなあ」とか…
言った人の行動や人格を攻撃して、話の的をずらして、したり顔をする者もいるでしょうけど。
そういう人間は、論理的思考や議論が出来ないだけでなく…
どんな言説も、内容ではなく「どの口から出たか」で正誤、善悪を判断するタイプなんですよね。
無知で思考力がなく、幼稚なおばかさんたち。とくに、ネットの世界に生息していがち。
ネットのおかげで、昔なら相手にされなかった馬鹿者が大きな声で、広くものを言えるようになったんですよね。
ああ、もうね……
ちょっと脱線して来たので、話を元に戻しますけれど。
まあ、選択的夫婦別姓なんていう、ほんとに在っても何の邪魔にならないものまで…
日本の伝統が壊される、社会が混乱するとかいって「自称保守」に反対され、実現しない国では…
何も前に進まないでしょうね。
戸籍制度は日本の宝、とかいう人がいますけれど…
全ての民を対象にした「戸籍制度」なんて、明治4年以前には存在しなかったものなんですから。
伝統でも何でもない。
宗門人別改帳は、趣旨も形態も戸籍とは全然違うものだし…
律令制時代にあったとされる庚午年籍とかも、当時の朝廷の支配が及んでいた地方(北関東以南)の…
全ての民を網羅したものではおそらくなかったし…
第一現存していないので、内容はおぼつかないものです。
それ以来、いわゆる「戸籍」なんて近代になるまで、この列島の中には存在してなかったんですから。
社会階層が高い人たちには、古くから氏がありましたけど、夫婦はたいてい違う氏を名乗ってました。
北条政子は、源政子じゃなかったし。日野富子は、足利富子じゃなかったし。でしょ?
長い歴史の中で、たかだか150年も続いているかいないかのものを…
「伝統だから、絶対に変えてはならん!」という意味がわからない。
まあ、いま日本の伝統と言っているものの、だいたい7割8割は、明治以降にできた習慣や制度、物なんですけど。
たとえば「神前結婚式」なんて、初めて行われたのは大正時代、一般に広まったのは昭和になってからです。
それ以前は、いわば「人前式」で、自宅の座敷かなんかに親類縁者が集まって、誰かが「高砂」を歌うとか。
そんなのやるだけで、それなりに「いいおうち」だったりしたんですから。
食文化だってそう。白菜なんて、今でこそ日本の鍋物に欠かせない野菜ですけど、90年ぐらいの歴史しかないんですよ。
また脱線して来ましたけど…
氏、苗字なんか、家族で違ったところで「家族関係」が壊れるわけない。
というか、苗字が違うことが主原因で壊れてしまった家庭、というものの実例を挙げてほしいですよ。
逆に苗字が違っても素敵な家族なんて、世の中にふつうにあるでしょ。
私の一番親しい日本人の友達のひとりは、事情があって妹、弟と苗字がちがいます。
しかも、高校生ぐらいのとき、家庭の事情で途中から彼の苗字が変わったんです。
でも、とても仲がいいきょうだいですよ。
兄ちゃんは、台湾の半導体企業の社長として、現地の社員にも日本人社員にも慕われて、会社の業績も絶好調。
(ほんとに人柄も最高の男で、本人にはこっぱずかしいから言わないけど、尊敬してます)
妹は大病院の経営者の夫人。弟は港区で多くの有名人の顧客を持つ大きな整体院を経営しています。
結果的に、今は兄弟三人、ぜんぶ違う苗字です。
みんな忙しいけど、はたで見ていても気持ちのいい距離感で付き合っていて、ときどき兄ちゃん家でBBQしてます。
この家庭のどこに問題がありますか?
イタリア人の親友は、再婚で妻とファミリーネームが違います。その上に…
子どもたちは、両親のどちらとも違う、母親の前夫のファミリーネームを使っています。
ひとつの家族に、三つの苗字。
でも、理想的と言ってもいいような、羨ましいぐらいの関係性の、なかよし家族です。
お互いに、深く他の家族を思いやっているし。
それは「ガイジン」だから?ガイジンと日本人の、どこが違うんですか?
文化?伝統?そんなもの、たいてい歴史が浅いものだって、さきほど説明しましたよね。
浅いものは、いくらでも変わります。そして変えたほうが良いものは、変えましょう。
苗字が違って仲の悪い家族がいるとしても、その原因は、まず100%近く苗字以外のところにあるでしょう。
それなのに、あれほど頑なに「夫婦で別の姓を選択してもいいよ」ぐらいの、小さいことを激しく拒否する。
もう、何かの病気じゃないかと。
まあ、一種の病気なんでしょうね。
集団的な、精神の病なのでしょう。
それほど大日本帝国が、帝国憲法下の社会体制が、慕わしい理由がわかりませんよ。
ほとんどの日本人が、戦前の記憶なんて持ってないのに。
持っているご老人たちだって「戦時中はつらかった、ひどかった」という記憶を語る人がほとんどなのに。
なのに、なんで?
心の病でなければ…
何か、カルトっぽい洗脳を入れられちゃってるか、人に入れて何かを企んでいるか、そのどちらか以外に考えられない。
そういうもののせいで、冷凍されたみたいに動かない世の中、うまく行くわけないですよ。
いい加減解凍しないと、じきに…もうすぐに、大変なことになります。
目を覚まさないと!
夫婦の姓が違う夫婦もありになったところで、離婚は増えないと思いますよ。むしろ減るかもしれない。
LGBTQ+の人が迫害されたり差別されなくなっても、結婚できても、それで少子化は進まないです。
西欧、北欧では、同性婚が認められた後で、むしろ少子化は止まり、出生率が増えている国もあります。
そういう国では、トイレや女性だけの公共空間が、右派の言うみたいに「男だらけ」になりましたか?
なってないですよね。
ヘンな話を無理やりこしらえてまで、無理やり伝統とやらに固執して、何のトクになりますか?
少数者、少数派へのイジメですか?
「伝統的」(実は歴史の浅い)な差別を続けることで、自分のルサンチマンを慰めたいんですか?
こんなこと言うと、お前はLGBTなのか?とか、男のくせに女の味方に付くのか?とか…
おとなのくせにガキの見方をするおか?とか、ばかみたいなこと言う人が、必ずいます。
あんたらは、自分と同じ属性の人間にしか共感できないのか?そんなに共感力が低いのか?
と、問い詰めたいですね。
どうしても「伝統」の夢をむさぼりたい人は、もう、世の中に口出しするのはやめましょうよ。
じゃないと、若い世代のひとたちが、かわいそうすぎます。