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緑陰茶話   - みどりさんのシニアライフ -

エッセイとフォト

日々の発見と思いのあれこれなど

物忘れ外来へ、付き添いで行く

2025年04月02日 | 日記
今日、月に一度の兄の付き添いで病院に行きました。
物忘れ外来、要するに認知症の受診です。
いつもは午前中に受診なのですが、今日は久しぶりに細かい検査をするとかで時間指定で午後に行きました。

結果はちょっとびっくりするものでした。
認知症のテストの結果はそんなに悪くなかったのです。
脳の断層写真も医師の言葉によれば令和2年の頃から変わっていないとのこと。

じゃあどうしてここ半年ほどで、家族の私から見て認知症が進んだように見えたのか。
医師いわく、病院での認知症のテストは集中しているから悪い結果にはならないらしいのです。
ただ普段は、何事もめんどくさいという気持ちでいるから物覚えも悪くなるらしい。

実は兄、1日に200回は些細なことで「めんどくさい」と言う人なのです。
それも物凄ーく感情をこめて「ああーっ、めんどくさいな」というのです。
聞かされる私がしんどくなります。
めんどくさいと言うこと以外に感情を込めることができないみたいなのです。

集中してやる、丁寧にやる、気を付ける、そういったことが全部ダメみたいな。
何をするにしても乱暴で、ぞんざいなのです。
色々な物のありかも覚えようという気がないし、きちんと保管する気もないのです。

結果は、私から見たら認知症が進んだ、になります。
でも実際には性格的なものであり、認知症ではない精神的なもののようです。
薄々感じていたのですが、若い頃からの兄の性格的な欠点が拡大されたような感じです。
それは少なくともアルツハイマー型認知症によるものではないようです。
それとも、それを含めて認知症なのか。

たとえば孤独死する人によくある自分自身へのネグレクト。
自分の面倒をみないからといって、その人は認知症ではないです。
何もかも面倒になって何もしたくない状態なのか。

こういう場合は、家族はどう対応したらいいのか、ちょっと考えてしまいます。
重度の認知症で、家族の顔も忘れるようなものではないから安心できるわけでもないですし。
ズボラな行いを注意しても感情的になるだけです。

兄はもともと、人から間違いを指摘されても自分は間違っていないと言い張る、とても面倒な人なんです。
認知症そのものは悪くなったわけではないと言われても、です。

高校選抜を観に高松へ

2025年03月28日 | 男子新体操
選抜というと野球が連想されるかもしれませんが、桜ばかりが花ではないように、野球ばかりが選抜ではないのです。
春にはいろんなスポーツの高校選抜がありますが、私が行って観てきたのは新体操、それも男子新体操をメーンに観てきました。
というわけで観戦旅行記です。

会場は、四国は高松市にある高松市総合体育館でした。

高松市まで観に行くとすると、どうしても1泊はしなくてはなりません。
認知症が進んでいる兄のことを考えると、外泊は避けたいところですが、23日の団体競技だけ観ることにして、1泊で、ほぼ弾丸で行ってきました。

日程は、22日、家を午後の2時半頃に出れば、6時頃に宿泊施設に到着できます。
翌日の朝、体育館まで行き、競技の終わる2時半までいて、表彰式は見ずにすぐ帰ると23日午後の6時過ぎには帰宅できます。

実は、ぎりぎりまで行くべきか悩んでいたので宿がなかなか取れませんでした。
やっと取れた宿はドミトリータイプ、要するに相部屋です。
私、相部屋は別に構わないのですが、自分のベッドが2段ベッドの上で、垂直の梯子で登らなくてはならないのには閉口しました。

というのも、相部屋といっても部屋ではなく、壁沿いにベッドが設えられていて、前は人一人通れる廊下のような狭さ、荷物は自分のベッドのある空間の枕元に置く仕様。
ロッカーは別にあるのですが、洗面道具や着替えはロッカーまで取りに行くわけにはいかず、結局、何度となく垂直の梯子を昇り降りする破目になったからです。

若い頃は貧乏旅行ばかりしていたので、その頃の山小屋やユースホステルとかに比べると格段に清潔でしたが、とにかく狭苦しくてくつろげない。
何度も垂直の梯子を昇り降りしていると、終いに落ちるんじゃないかと思いました。
(梯子は膝を梯子に対して水平ぎみにしないとつっかえて昇れない💦)

梯子を昇り降りしていて、昔、2段ベッドから転落したシスターの話を思い出しました。
彼女はしばらく意識不明の重体に陥り、それがきっかけで宗教的覚醒だったか臨死体験だったかをしたとという話でした。あまりにも昔に聞いた話なので詳しくは覚えてない。
どっちにしても、私は宗教的覚醒も臨死体験もしたくない。
できれば梯子の昇り降りはご容赦願いたかった。

着いてからの夕食も、一人旅ではいつも悩むのですが、宿の人に聞いて近くの洋食屋さんに行きました。
土曜の夜でしたので狭い店内は人でいっぱい。
私は一人だったので孤独のグルメよろしくカウンターに座ることができました。
カウンターから厨房内を見ると、二人の若い女性のスタッフもいるのですが、中年のシェフが一人で調理に奮闘していて、ほとんどカオスのような状態。
シェフの表情が悲壮を極めていました。

夜でもやっているというAランチを食べました。

味の方は普通。丁寧に作ればもっと美味しかったかも。

翌日は宿の近所のコンビニでパンやらお弁当、飲み物を買い込み、宿の休憩室で朝ご飯としてパンを食べ、お弁当の方は昼ご飯として会場まで持っていきました。
遠征ではこういった食事の確保が大変だし重要なんです。

早い目に会場に着いたのですが、既に開館を待つ人が長蛇の列。
でも広い会場でしたので前の方の見やすい席に座ることができました。

競技の結果は井原高校のぶっちぎりと言っていい程の優勝でした。
演技が始まってすぐに会場がどよめきはじめました。



井原高校は岡山県の高校なので、高松市は海を隔てた向こう側。
休憩時間に後ろを振り返ると井原高校の関係者がたくさん応援に来てました。(お揃いのTシャツで分かる)
私はちょっと人探ししました。

実は今年の2月に加古川市で行われたTOBAN杯という体操の演技会で、X(旧ツイッター)で知り合った人の息子さん(H君)が井原の応援に来ているということで、会えば挨拶してほしいと言われていたのです。

H君、4歳の頃から体操をしてて、4月から井原高校に入学し、男子新体操をするそうです。
(特別枠での入学で、兵庫県の実家から離れ、寮生活になるとのこと。)
2月にH君から貰った色紙です。(名前部分は消してます)

可愛いでしょう💛
でもH君、この日は、会場は広いし人もいっぱいで見つけることはできませんでした。

H君のお父さんは色んな人に声掛けしててH君を推してほしいみたいです。
心配しなくったって、私みたいなBBAではなく、井原の子というだけで推す人はたくさんいるんです。
この日も、井原の演技には男子フロアの観客より、女子の新体操の応援に来た女子フロアの観客の反応の方が凄かったのです。
(女子は男子の演技を日頃から見ているわけではなく、見慣れていない人が井原の演技を観るとインパクトが凄いんです)

実力がものを言う世界ですし、H君はいけそうです。
なにより本人がやる気満々というのが重要ですね。

というわけで、私は演技がすべて終わると表彰式は見ずに帰りました。
JRの高松から岡山までマリンライナーに乗って帰ったのですが、Xによれば、遅くに帰った人はマリンライナーの中から岡山で燃えている山火事の火が見えたそうです。
その山火事も昨日の雨でようやく鎮火したみたいです。

4月から新年度、男子新体操は見られるものは見ておこうと思います。


春の掛け軸 お茶の稽古

2025年03月21日 | 茶道
家の床の間に新しい掛け軸をかけてみました。
題は「桜と牛」、画家は高樹


アップで見るとこんな感じ。


例によって中古品の掛け軸です。
桜がメーンの筈なのに少々貧弱。
その代わり牛は重量感たっぷりに描かれています。
公民館でのお茶のお稽古の時に持っていって、お稽古の時に掛けるつもりです。

公民館ではない先生のお宅でのお稽古では初めて炭点前をお稽古しました。
炭点前は他の人がしているのは何度かみたことがありますが、自分がするのは初めてでした。
炉の中の炭を整えて茶釜を掛けるお点前です。

一人が代表してお稽古するのですが、先輩の方々は一度は経験している様子でしたので、私がやりますと言うと、先輩の一人から「羽釜だけど大丈夫?」と言われました。
実は茶道では、使う茶釜が季節によって異なるのです。
3月は羽釜、4月は天井から鎖でぶら下げた釣釜になります。

なぜそうなるかと言うと、炉の季節は11月から4月なのですが、年を跨いだ3月の頃には炉の中の灰が増えています。
それで、それまで使っていた五徳では釜の底が炭につきそうになるので、羽釜という釜の両端に薄い出っ張りのある釜を炉の中の縁に掛けて湯を沸かすのです。
ただ縁に掛けただけでは炭からの距離が短すぎるので、小さな四角柱の木片を羽の下にかませて釜の位置を高くするのです。

先輩が心配したのはその木片の扱いでした。
湯の入った重い羽釜を、1.5cm程の木片の上に置くのはある程度器用でないと難しいのでした。
私はそんなことは知らず、「やります」と言ってしまったわけです。

それは終盤の動作で、炭点前ではその前に色々とやることがあるのでした。
正座して、いい加減足が疲れた状態で羽釜をのせるのですが、私はその時右足の太ももの裏が攣ってしまい、羽釜を落としそうになりました。
太ももの裏が攣るなんて初めての経験です。

それでも何とか羽釜をのせることが出来ました。
うまく炉の内側の縁に置かれた木片の上にのせられず、木片を落とす人も多いのだそうです。
(過去に炉の中に落とした為に木片には焦げた跡がありました。)
70代に入って、足が攣ることが多くなって、それでも太ももの裏は初めてで、年を取ると言うのはこういうことなんだと自覚しました。💦

その日は炭点前だけでなく、茶湯(ちゃとう)のお稽古も初めて行いました。
茶湯というのは、仏様(亡くなられた人)に差し上げるお茶のことだそうです。
それは別の人が代表でお稽古して、他の人達は見学です。
割と簡単なお点前でした。
初めてのことを色々と教わりましたが、お茶のお稽古、ボケ防止にはなりそうです。

次回の先生の家でのお稽古は4月になります。
釣釜での稽古になりますが、それがまたユラユラ揺れて蓋を開けたりするのが難しいのです。
齢を重ねて、身体的に難しいことを習うのも意味があると思うしかなさそうです。


“naive”な人達

2025年03月17日 | 政治
兵庫県の百条委員会が閉幕し、報告書が提出されました。
さっそく読みやすいように報告書をダウンロードし、プリントアウトしました。

表紙と目次を含めてA4用紙で40枚ありました。
1時間くらいかけて熟読しました。

一つ一つの事柄を詳細に調査し、議論をしたことがうかがえる報告書でした。
内容は私も詳しくは知らなかったことが多かったです。
斎藤知事にパワハラがあったというこの報告書の結果に対し、反論があるのであれば、報告書に書かれた個々の内容そのものに反論しなければならないでしょう。
たぶん反論は不可能でしょうけど。

だからこそ、なのでしょう。この結果に対し、斎藤知事は受け入れない姿勢を表明し、さらに疑惑を告発して自死した元県幹部のプライバシーに触れ、告発者の社会的評価を貶める発言をしました。
後には彼が使っていたパソコンの中身を公開する考えもあることを表明しています。

今回の知事選に関し、私も当初は知らなかったことがたくさんあったのですが、その一つは百条委員会の重みでした。
百条委員会は地方自治法第100条に基づいて設置されるもので、第三者委員会などよりももっと権威のあるものでした。
とても「一つの見解」として言い捨てることのできるものではないのです。
自治体の首長と議会が共に住民を代表するという二元代表制の元では、議会が設置した百条委員会の軽視は、それだけでも知事の資質を問われても仕方ないものです。

それ以上に問題だったのは、不正に入手した疑いもあり、真偽も定かでない、また一連の告発とも無関係の、告発者だった元県民局長による「倫理上極めて不適切なわいせつ文書」の存在に言及して告発者の社会的評価を貶める発言をしたことです。
斎藤知事、一線を越えたという印象です。

私は今回の知事選については、以前から自分のブログでも短いながら言及してきました。
私自身、当初は事の真偽も分からず、百条委員会の報告待ちというスタンスでした。
テレビのワイドショーなどが報じていた斎藤知事のおねだり疑惑等々は当初から全くスルーでした。(私のオールドメディアへの不信感は最近それを言い始めた人達とは違い、年季が入ってます。)

ですが、斎藤知事があの立花孝志の応援を断らず、2馬力選挙を行ったこと。(私は以前から、立花孝志がどういう人物か多少なりとも知ってました。)
さらに立花孝志の選挙運動が、自殺者が出るほどのデマ・誹謗中傷の拡散等、常軌を逸したものであったことから、それを許した斎藤知事に対して疑惑を持つに至りました。

そして今回の百条委員会の報告、それに対する斎藤知事の対応を知るにつけ、斎藤知事はおよそ知事たるにふさわしい資質も資格もないという結論に至りました。

もう少し詳しく触れると、今回、百条委員会で調査されたことは、亡くなった県民局長が告発文で指摘していた七つの疑惑だけではありません。
公益通報者保護法に鑑みて、亡くなった県民局長の告発に対して県が行った行動が正しいものであったかどうかも検証されていました。
結果は、明らかに公益通報者保護法に違反していますし、斎藤知事の今現在の対応も継続して違反状態にあることになります。

というのも、そもそも公益通報者保護法によれば、告発者の探索そのものも行ってはいけないものだからです。
にもかかわらず、既に自死している告発した元県民局長への攻撃・貶めをいまだに続けているからです。

亡くなった元県民局長による告発から始まったこの件については、当初から一貫して局長のものとされる私的な文書が斎藤知事擁護派の切り札として使われてきました。
私はそこから一連の出来事を考えてみます。

それは、元県民局長の公用パソコンの中にあったとされていますが、その事自体が私に言わせれば疑問です。
私は過去に2か所の役所(年金機構と労働局)で勤めたことがありますが、役所におけるパソコンの扱いは民間以上に厳格で、仮に個室で作業しているとしても、その中に読まれて困る私的な文書を入れるなど考えられないからです。

すでに多くの人が指摘しているように、データファイルの最終更新日時がパソコンが押収された後の同一日時になっていること、私的なUSBまで持っていかれたと元局長が語っていたことと考えると、私的な文書は押収後に私物のUSBから公用パソコンに移されたと考えることもできます。(本当のところは調査しないと分かりません。)
つまり公務中に公用パソコンを使い、私的な文書を書いていたという非難は、その証拠自体が毀損されて存在しないに等しいのです。

もちろん、そのこと以前に公用パソコンや私的なUSBの押収も違法だし、大規模な捜索をして内部通報者を探し出したことも違法です。
つまりこの切り札は、切り札として使うこと自体が何重もの意味で無効ですし違法でもあるということです。

ではなぜ、斎藤知事を擁護する関係者は法を犯してまでこの切り札に拘り、使い続けるのか。
公益通報者保護法の専門家も指摘している通り、答えは簡単です。
告発者に悪いイメージを持たせ、告発自体に真実性がないと皆に思わせるためです。

実際、選挙中に行われたことは、お漏らし3県議と呼ばれる維新の議員達が、他党の党首である立花孝志に情報を渡し続け、立花孝志がそれに壮大な脚色を施して街宣やsnsで広報する。
結果、「10年で10人と不倫。それも不同意性交」などという元局長に関する嘘八百のデマが拡散され、「そんなやつの言う事が信じられますか」と告発自体が別の意図があったがごとく印象づけられてしまう、ということでした。

専門家によれば、告発者に対して拡張された人格攻撃を行うというこのような方法は、実は過去において、内部通報が行われた現場では国内外で普通に見られたことだったそうです。
だからこそ、内部通報者保護法では、通報者の探索も、解雇や降格等の人事上の不利益も禁じられているのです。
詳しくは以下参照。
https://x.com/Prince_Ootsu/status/1898129784242422006

このように、全く否定されているにもかかわらず、斎藤知事やその支持者達は、なぜ、未だに局長の私的な文書にこだわり続けるのか。
私が考えるに、彼らはnaiveな人達に期待しているのではないかと思います。
naiveと英語で書くのは、日本語で使われるナイーブと意味が異なるからです。

日本語でナイーブというと、「繊細な」「純粋な」「素直な」といったポジティブともいえる人の性質 を表しますが元の英語では違うようです。
英語ではnaiveは「単純な」「世間知らずの」「だまされやすい」「鈍感な」「考えが甘い」「経験が浅い」と、要するに浅はかな性質を表す言葉です。

このnaiveな人達は、一方でとても優しくて好い人達でもあるようです。
たとえば斎藤ガールズとか斎藤マダムとか呼ばれている斎藤知事を応援する女性達は、やはり優しそうで、ワンコを抱いた人もいて、どうみても善良そうだったりするそうです。
そして斎藤知事が責められれば責められるほど、『どんな時でも私は味方』と言わんばかりに、理屈抜きで応援する気持ちを強めていくらしいのです。

私がこんなことを書くのは、今回の知事選とは関係のない、X(旧ツイッター)での経験があります。
たまたま知り合った、とても親切で感じの好い人と、互いのXのフォロワーになったのですが、政治的にヘイトな記事のリツィートをあまりにするのでミュートせざるをえませんでした。
そういうことが2回というか二人ありました。
二人とも私よりもずっとsnsに精通していました。

善良な人が、なぜ明らかなヘイトに乗ってしまうのかと思いますが、それがその人の正義感なのです。
せめてリツィートという形でなく自分の言葉で主張すれば話のしようもありますが、たぶん、自分の言葉は持っていない・・・。
東京在住の人は石丸に投票したと誇らしげに書いていました。

この種のnaiveな人達には、元局長が書いていたとされる文書の内容は、効果絶大なのだと思います。
元局長は趣味で小説の草稿のようなものをたくさん書いていたらしいのですが、その中にいわゆるポルノ的な描写があったらしいのです。

私のようなスレた人間なら「だから?」で終わってしまうし、事実、その文書を読んで「この程度のことで書いた人物が信用できないなんて言ったら、自分を含め男はほとんど信用できない」という意味のことを言っていた人もいます。

ただnaiveな人達、特に女性は違います。
なんてイヤラシイ、キショク悪い、変態、等々エモーショナルな反応をし、「そんなことを書く人は信頼できない」となります。
反対に、斎藤知事に対しては実際に「斎藤さんはお辞儀がきれい。あんなきれいなお辞儀をする人に悪い人はいない」と言っています。
人を見る視点がまるで違うのだと思わなくてはなりません。

元局長の私的文書はあくまで彼のプライバシー、彼が公的に行ったこととは関係ない、とはnaiveな人達には考えられません。
そういう人達は公益通報者保護法をどれだけ説明しても理解できません。
彼らにとって、今回のことはあくまでオールドメディアと結託した既得権益層の、改革者である斎藤知事に対する攻撃、斎藤知事つぶしというストーリーの中での理解で、それは動きそうにないのです。

今回の選挙において立花孝志がやったこと、人を自死にまで追い込むその手口。
それは街宣やsnsで嘘八百の誹謗中傷を繰り返すだけでなく、人の家に押し掛ける、電話やメール、FAXで毎日のように罵詈雑言を浴びせ続ける、家の前に汚物を撒き散らす、大量のワケの分からない郵便物を送り付ける等々、ですがnaiveな人達に言わせると「斎藤知事はもっとイジメられてた」になります。

維新のお漏らし3県議のやったことも、私から見れば醜悪で卑劣極まりないものですが、naiveな人達に言わせると「私達に真実を知らせるためにやった」ということになります。
そしてその真実とは、元局長の私的な文書であるわけです。

私は知事選で斎藤知事に投票した111万人全員がnaiveな人達だったとは思いません。
だから今後、兵庫県政がどう動くかは分かりません。
ただnaiveな人達は斎藤知事の岩盤支持層であり続けるでしょう。
本来善良でやさしい人達が「斎藤知事かわいそう」というそのやさしさから“悪”に寄り添い、遵法意識さえどこかにやってしまうのは戦慄すべきことです。

一方、今回のことでオールドメディアに対して批判一方だった人達が、クラウドワークスなどのsnsの裏側を知ったことは一つの成果だったと思います。
兵庫県で起こったこと、今も継続して起こっていることは兵庫県だけの問題じゃなくどこにでも起こることです。
今後も注視していきたいです。


庭の春

2025年03月12日 | 庭の植物
3月も半ばになってようやく庭にも春がやってきました。
フキノトウが幾つか芽を出していました。






スミレも花盛りです。


梅の花も咲きました。

今年は梅の花数が少ないです。
前面だけ咲いて、後ろの方の枝ではまったく咲いていません。
ちょっと心配。

私はというと、久しぶりに風邪をひきました。
珍しく熱が38.4出ました。
今は平熱になりましたが咳と鼻水がひどい。
ちょっと免疫が落ちていたみたい。
ストレス?
負けずに頑張らねば・・・。