京都 iroiro

気ままな主婦のiroiroな日常

脳梗塞記念日

2013-11-03 | 気ままに

去年の今日、母が実家で倒れました。私達夫婦は神戸に出かけていました。ホテルで遅ればせの主人の誕生日をしながらスケートの番組をテレビを見ていた所、7時半頃姉からの携帯電話が鳴りました。それからが大変です。既にワインを一口飲んでいた私は、フロントに電話をし、午前3時にチェックアウトしますと伝え少しだけ寝て、起きた後は母が無事であることを祈って事故の無いように車を走らせるだけでした。父に電話をしたけれど、もうすぐ母が死ぬかの様な言葉ばかり・・私は1000分の1の可能性にだって賭けるつもりで兎に角その日朝8時、京都駅八条口で姉達を拾い丹後にまっしぐらに帰りました。なのに、病院を目前にして愛車がストップし、私は車の所で保険会社の人を待ち、主人他、皆は病院へ。暫くして主人が戻って来て、「ママの足が動いたよ。大丈夫大丈夫。動く動く」って。もう泣いて喜びました。担当医からの説明はありきたりなもの。「あまり希望を持たないで下さい。歩けるようにはなりません。良くて車イス。言葉も言語障害を起こしていますから・・」と。私は心の中で「さぁ、私の番だ!!」とある決心をしました。人間の能力の凄さ(努力するものにご褒美をくれる脳の力)を信じている私は母で試そうと決心しました。だから母に「復活するよ、いい?復活だからね!」って。ニコニコ笑う母は自分のことではなくまるで私に協力する人みたい。ちょっと変でしたが、まぁこれでいいでしょう。それから毎日行く度に足と手の指を一本ずつマッサージし、翌日母の手を撮り「握ってみて」と手を握る。かすかな反応を感じた時は天にも登る喜びでした。動かないはずの右手が動くのを感じたのです。でも、感じるのは一日に一回だけです。それがその時の母の精一杯なのでした。それを繰り返し繰り返し、母の握り返す手の感触は確かなものになって行きました。

今では母は自分で歩き、自分で食事をし、自分で服を着る。勿論父が側でサポートしていますが、母は自分なりに復活したのです。今年の5月には琵琶湖バレーにも一緒に行きました。

長年父にぶつぶつ言って来たにもかかわらず今や父が一番の支えです。老老介護そのものです。デイサービスやヘルパーさんを利用しつつ、現在を維持していることに感謝します。他人が家に入ることはとても良い刺激になります。

私達夫婦の見本として頑張って欲しいな?もちろん私達も子供たちの見本として、両親を支えましょう。