榊原康政
小平太、具足を貰い受ける
元康君、桶狭間の戦いでの敗戦後は三河、大樹寺にて立て籠る際、寺小姓らしき小僧に出会った話。
元康君が前途を悲観するあまり、代々当主の墓前で腹を切ると騒いでいたのを和尚と周りが押し留め、身の回りが屈強な三河侍の年長の者ばかりでは余計落ち着くまいと、登誉天室和尚が寺小姓らしき小僧を側に置いた。
〜話せば賢く中々字も上手いし、なにより言葉遣いが巧みである代筆には重宝するであろうな…〜
間もなく岡崎城へ帰還を果たし、旧領の回復、伯父、水野信元との仲介による信長との同盟と忙しさに忙殺される元康君は、大樹寺で世話になった際に側にいた小僧を世話係に取り立てようと思うと大樹寺に持ちかけた。
実は小僧は、三河上野城主、酒井将監忠尚の家来、榊原長政の次男坊〜小平太という素性だった。
忠尚は、元服もまだ先であろう小童など物好きと思いながら、召し抱えるなら存分にと小平太を元康君に使いを出した。
松平宗家しかも直臣という身分に取り立てという扱いに小平太は驚き、友人であった神谷金七に相談した。
金七は…
〜しかし陪臣の次男坊である小平太、具足は持っておるか。〜
小平太
〜ない。〜
金七
〜直臣なのに、具足も持ち合わせてないとなると、御家の恥にもなろう。〜
金七は縫い合わせた使い古しではあるが、餞別にと銀色の具足を小平太に手渡した。
やがて榊󠄀原小平太は元服。主君 松平元康は小平太に一字を授け、榊原康政と名乗る。
三河一向一揆で初陣を果たすが、この具足を着て戦い、武功を果たす。
〜名将言行録〜より
榊原康政
榊原康政は吉例として、この具足を終生大切に扱い、現在も現存。
家康が豊臣秀吉と戦う小牧・長久手の戦いでは、秀吉を挑発する檄文を立て秀吉を激怒させる。
館林10万石の太守として徳川四天王の一角を担う。
抗弁も達者で、石田三成が家康の屋敷を襲う噂が立つと、3000の軍勢で上洛して関所を止め、多くの通行人らが徳川6万の軍勢が殺到したと噂を流し時間稼ぎし窮地を救う。
関ヶ原に遅参した次期将軍の秀忠のため、家康に必死の説得で和解させる。