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日本歴史紀行

歴史 今日の出来事 10月31日 陰陽師 安倍晴明 逝去 〜1005年 10月31日 (寛弘2年9月26日)




1005年10月31日( 寛弘2年9月26日)
陰陽師 安倍晴明 逝去



逝去から千年以上経つ2024年の現代においても、いまだに語り継がれる陰陽師、安倍晴明がこの日亡くなりました。






陰陽道は唐(中国)伝来の哲学と自然界の水、火といった、五行思想を日本で独自に発展した学問からなり、陰陽師はそれらを駆使して呪術を施して占い、時の権力者から絶大な信頼を得ていました。


安倍晴明が歴史上 その名前が出てくるのは、960年 天徳4年、村上天皇治世の頃の晴明が40歳を過ぎてからのことで、師事している暦道、天文道、陰陽道を究めた賀茂忠行、保憲 父子の弟子として学びました。


賀茂父子は弟子ながら晴明の卓越した能力を認め、貴族の諸祭事や占いで評判を高め、やがて天文学の知識から天文の変化をいち早く察知して吉凶を占う天文密奏により名声を高めました。

やがて朝廷内でも晴明は存在感を増し、
天文の異常な現象から時の帝、花山天皇の譲位を予告し、まもなく花山天皇は出家して譲位となり、これが事実となったことから一条天皇と関白、藤原兼家らは安倍晴明を重用、兼家の子で後に朝廷内で絶大な権力者となる藤原道長もことあるごとに晴明を召し、絶大な信頼を得ました。






晴明神社




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