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神武天皇 御像
静岡県焼津市焼津 焼津神社
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橿原神宮
奈良県橿原市久米町
金鵄と大和平定
宇陀を平定し、吉野を巡幸する神日本磐余彦のもとには、多くの土豪らが帰順し、大和の国を目指しました。
そして生駒山の戦いで苦戦した長髄彦の軍と戦います。
長髄彦の軍勢は強く、神日本磐余彦の軍勢も苦戦していました。
すると、黒雲が空を覆い、あたりも暗くなり、
叩ききつけるように雹(ひょう)が降り出してきました。
そして神日本磐余彦の弓の先に一羽の金色の鳶が止まり、燦然と輝きはじめます。
長髄彦軍の兵たちは、稲光りによって目を射られてしまい、ついに降参しました。
長髄彦の主君の饒速日命(にぎはやのみこと)は、長髄彦に天神の御子である神日本磐余彦に
お仕えするように諭しましたが、長髄彦は改め
る気持ちのないことを知り、やむなく長髄彦を討ちました。
長髄彦を討った饒速日命は、神日本磐余彦に
〜私はこの大和に住んでいる者です。
大神の御子が、天から下られたことを知り、参りました。これからは神日本磐余彦尊の家来としてお仕えします。〜帰順を申し出ました。
神日本磐余彦はようやく大和平定を成し遂げることが出来ました。
紀元前660年2月11日
神日本磐余彦〜御即位
長い東征の旅が終わり、神日本磐余彦は畝傍山(うねびやま)の辺りに全軍を招集し、橿原奠都(かしはらてんと〜都を定めること)の詔を高らかに宣下されました。
そして この地に天皇にお住まいいただく宮殿を建設します。
それが今の畝傍山の東南の地である橿原です。
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さざれ石
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橿原神宮 本殿