〜天道次第〜
武田信玄が駿河の次に触手を伸ばしたのは、家康の領国、遠江でした。
武田信玄の大軍勢が差し迫る中、軍儀の場では、籠城を主張する家臣が多数を占め、家康が語る思いは。
〜我国をふみきりて通るに、多勢なりとて、などが出てとがむべし。
そのごとく、我国をふみきりて通るに、多勢なりとて、などが出て咎めざらん哉。
兎角、合戦をせずしてはおくまじき。
陣は多勢、無勢にはよるべからず、
天道次第。
~現代釈~
自分の国を踏み破って通る者が居れば、
その軍勢が多いからといって、咎めないことなど出来ない。
絶対に戦うべき。
戦いは多勢が必ずしも無勢に勝つとは決まらない。
天が味方するかどうか、〜天道次第〜である。
武田信玄の軍勢に領国を蹂躙される中、同盟国の尾張、織田信長からも今は自重せよと念を押され、家臣も出陣には反対される中、家康が信玄との戦いを決意した時の天道次第という言葉です。
結果、三方原で大惨敗するも、武将としての意地と気概を示し、また、夏目吉信、本多忠真といった三河以来の家来を失くした無念は、自らへの戒めと共に生涯忘れなかったといいます。