
高野山 壇上伽藍 西塔
和歌山県伊都郡高野町 高野山
西塔は、弘法大師 空海が入定前に遺していた御図記に認め(したため)ていたもので、886年 仁和2年、二世 真然大徳が光孝天皇の勅命により壇上伽藍 西北の隅に建立されました。
高さ27・27メートルの多宝塔で、金剛界大日如来像と胎蔵界四仏の五仏像が本尊として奉安され、994年 正暦5年に落雷で焼失以後、5度にわたって焼失を繰り返し、現在の塔は江戸時代後期の 1834年 天保5年に再建されたものです。
弘法大師の伽藍建立計画案である御図記(ごずき)を基に、真然大徳によって造立が進められました。


弘法大師の計画案とは、大日如来の密教世界を具体的に表現する法界体性塔(ほっかいたいしょうとう)として、二塔一対として建立する計画でした。
しかし様々な事情により建設が遅れ、886年 仁和2年に建立されました。
西塔では、根本大塔の本尊が胎蔵大日如来であるのに対し、金剛界大日如来と胎蔵界四仏が安置されています。