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近江 源義経 宿泊館跡
滋賀県蒲生郡竜王町鏡
1174年、承安4年(1174年)3月3日の早朝、20頭あまりの馬に、織物や陶器、綺羅びやかな装飾品など、京で買いつけた品々を馬の背に乗せた金売吉次は、遮那王(源義経)を伴い、屋敷を発ち、瀬田の唐橋を渡り、近江国に入りました。
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現在の鏡ノ宿〜滋賀県蒲生郡竜王町
夜になり、一行は近江の鏡ノ宿(現在の滋賀県蒲生郡竜王町)に入り、宿場一の長者「沢弥 傳」(さわやでん)の屋敷を宿とします。
長者は駅長(うまやのおさ)とも呼ばれ、弥傳屋敷は宿名を「白木屋」(しらきや)と称しました。
義経の旅は、初日から波乱に満ちたものとなります。
白木屋におびただしい財宝を持った金売吉次という商人一行が泊まっているらしい。
噂を聞きつけた盗賊の大群が白木屋を襲います。
大太刀の山賊〜由利太郎と越後の大薙刀の藤沢入道。
約百名もの手下を率いた大盗賊でした。
彼等は頭目である吉次を探します。
義経は部屋の屏風陰に小太刀を手に身を潜め、機会を伺います。
盗賊たちが部屋に雪崩れ込んだところ、義経は勇猛果敢に討って出ます。
盗賊らを次々と斬り捨て、騒ぎを察した由利太郎が踏み込むと、小太刀を手にした童と見紛う少年の姿でした。
少年は月代(さかやき)も剃られていない姿から、由利太郎は侮り、大太刀を振り上げたところを懐近くに入り込んだ義経に大太刀を手にした腕ごと斬り落とされ、次いで首を絶ちました。
藤沢入道に至っては、座敷で巧みに大薙刀を振るうも、鞍馬山で夜通し稽古で鍛え抜いた義経の動きは俊敏を極め、跳躍して間合いに入ったところで縦一線に顔面を斬り下げました。
盗賊の大群、しかも悪名高き由利太郎と藤沢入道の両巨魁を返り討ちにした様を目の当たりにした吉次は、まさしく源氏の御曹司だと確信しました。
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義経宿泊の館跡碑