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日本歴史紀行

八十八夜 寄稿 9 初代静岡県知事 関口隆吉を輩出した茶産地 菊川 3


菊川市の茶畑









関口隆吉 屋敷跡~月岡八穂神社

静岡県菊川市月岡8番



明治政府と連携を密にして萩の乱を短期間に静め、国内最後の内乱と化した西南の役では、九州への出入口となる山口において、薩兵の襲来に備えて多大な苦心するも、結果的に明治政府へその仕事ぶりが高く評価されることとなりました。

明治14年には元老院議官、明治16年には地方巡業使と、政府からは重宝されます。

巡業使として故郷、静岡を見て回った隆吉は、河川の多い静岡で度々起こる水害を対策に掲げます。

隆吉は翌年に静岡県令を拝命します。
旧藩主や贈収賄の懸念から土地の出身者をその県令にはしないという政府の方針から逸脱する任命で、極めて異例の人事が行われました。

そして、この任期中に「県令」は廃されて「県知事」となったので、関口隆吉は初代静岡県知事になります。


明治16~17年には、秋の長雨や台風もあり、農作物は減収が甚しくほとんどの人が日々の食料にも困るような状態となります。

とくに、静岡県では、富士川、大井川、天竜川を始め各河川が氾濫して田畑の流失が発生します。


遠州社山(現在の磐田市社山)に水利用トンネルを開通したり、富士川に水門を設けたり大事業を行って対策し、また「救荒叢書」を著し、救荒の方法を記述、これは、江戸時代末に船橋随庵という農政学者に学んだ知識を参考に記したものでした。





八穂神社境内の関口隆吉顕彰碑




八穂神社社殿


1887年 明治20年、隆吉は静岡教会牧師の平岩愃保と共に、静岡県内初の女子教育機関である私立「静岡女学校」(現静岡英和女学院中学校・高等学校)を開校します。


為政者として、事業と教育の充実も推し進め、久能文庫設立には私費も投じて尽力しました。


運命の明治22年4月11日、隆吉は静岡から、自らも堀之内駅施設に関わった全線開通目前の東海道本線の車両に乗り込みます。


隆吉を乗せた列車が西へ安倍川を渡った辺りで、あろうことか、西の用宗から発車した貨物列車と正面衝突を起こし、鋼材が隆吉の脚を直撃したので傷は重く、破傷風を患い療養も虚しく5月17日この世を去ります。


牧之原大茶園、県内の治山治水、東海道本線の堀之内駅(後の菊川駅)施設、女学校の開校と初代静岡県知事として、数々の業績を残した隆吉の生涯でした。


関口隆吉の子孫


長男
関口壮吉 ~浜松高等工業学校初代校長

次男
新村 出 ~言語学者・文献学者。『広辞苑』編者


四男
関口鯉吉(天文学者・気象学者)

長女 関口操

操の養子 関口隆正(静岡女学校第3代校主・漢学者)



追記…
関口隆吉の生涯ばかり追って、肝心の茶産地、菊川のことが疎かになるところでした。





市北部、潮海寺の茶畑






市中心部、加茂地区の茶畑


お茶地蔵



応声教院 山門
徳川秀忠公 寄進













東遠州の要害、横地城付近の茶畑



茶の花

毎年の風物詩〜田んぼアート
去年は徳川家康公



京都アニメーションの放火事件で犠牲になった菊川市出身の絵本作家、大村勇貴さんの作品から。

菊川茶イメージキャラクター
茶子ちゃんと富士

コロナ禍の年には妖怪アマビエ。












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