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日本歴史紀行

徳川家臣紀行 6 夏目次郎左衛門吉信 夏目次郎左衛門吉信 旌忠(せいちゅう)碑


夏目次郎左衛門吉信 旌忠(せいちゅう)碑
浜松市中区布橋


夏目吉信を輩出した夏目氏の出自は、清和源氏の流れを汲む源右衛門尉満快(みつよし)とされ、さらに満快の父は、臣籍降下した源経基とされています。
 
満快の子孫が信濃国 伊那郡 夏目郷に土着して夏目の姓を名乗ったのが始まりとされています。

一族はやがて信濃から三河へ流れ、そして夏目吉信は家康の祖父、松平清康に仕える夏目吉久の子として誕生しました。

徳川家康の独立間もない永禄4年の長沢城攻めで功名を挙げましたが、三河一向一揆では家康に叛いて一揆に加わりました。

緒戦では有利だった一揆勢も次第に形勢は家康側に押され、吉信が野羽城に籠城したものの、家康旗下の松平伊忠に突入を許し、吉信は土蔵に隠れるも捕らえられ、万事休すの状態になったところ、家康はこの知らせに捕らえた松平伊忠に使い番を送り、伊忠の手柄を褒め、〜次郎左衛門吉信は、もはや篭の中の鳥。篭の中の鳥なのだから助けてやりさい。〜と命じます。

伊忠は不満を漏らすも主命なので吉信を見逃しました。

この助命が10年後、家康の人生最大とも言える危機に吉信は大きな忠義を尽くします。

2に続きます。












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