第一次南極観測隊は、越冬隊を選抜して様々な研究と観測を行ない、その合間に樺太犬たちの犬ぞり訓練を行なって遠征も成功させました。
ボツンヌーテン初登頂、また、オラフ海岸の遠征旅行は、美保ヶ岬やタマ岬、金魚岩周辺の未開の海岸地帯を越冬隊が命名する栄誉。
昭和32年12月、越冬隊を迎えに来た観測船宗谷は、昭和基地のあるオングル諸島を目指して北のプリンス・オラフ海岸を南下する方法で接岸を計りましたが、12月31日、氷海に突入した後に吹き荒れ始めたブリザードは、わずかばかり水路のあった氷海を覆い尽くしてしまい、宗谷は氷板の真ん中に取り残された格好となりました。
宗谷は自力での氷海突破を試みて、チャージング(砕氷船が前進して氷板に乗り上げ、自重で氷板を割って進む航法)や発破作業で氷板を爆破しる作業を繰り返すも、突破口とはならず、想像以上に厚い氷板は宗谷の船体に確実にダメ
ージを与えてしまっていました。
宗谷が氷海に閉じ込められて1ヶ月が過ぎた昭
和33年2月1日、宗谷の船底のスクリューが氷魂を巻き込んで破損してしまいます。
越冬隊を含めた第一次南極観測隊を所管する文部省(現在の文部科学省)の南極地域観測統合推進本部は、この事態を重く見て、アメリカの南極観測船バートン・アイランド号へ救援を要請し、バートン・アイランド号は宗谷救援へ向かうことになります。
9に続きます。