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小川城跡 石碑と案内板
駿河 小川(こがわ)城跡
静岡県焼津市 西小川5丁目
本日より大河ドラマ〜べらぼう〜がスタートしました。
ドラマ序盤で主人公〜蔦屋重三郎が当時 放蕩三昧だった後の鬼平こと鬼の平蔵〜長谷川平蔵宣以とのやり取りがありました。
その長谷川家について、先祖の逸話をまとめました。
戦国時代の先駆けを走ったのは北条早雲ですが、早雲が飛躍する過程の中で、今川の当主に御曹司、対立する東遠の豪族 横地、勝間田と様々な家の人々が関わってきました。
今川家の当主、今川義忠が凱旋の帰途、横地、勝間田の残党に襲撃され、還らぬ人となりました。
これにより今川家中は義忠の遺児 竜王丸と義忠の伯父にあたる小鹿範満を後継者に推す派閥が家臣団の間に争いとなって起こります。
小鹿範満の母方の縁者は相模国守護 扇谷上杉家で、重臣 太田道灌を派遣し、竜王丸を推す派閥に圧力をかけました。
この行為に竜王丸の母 北川殿は、京で幕府に仕える弟(兄とも)の伊勢新九郎盛時(北条早雲)に助けを求めます。
妹(姉)の急報に新九郎盛時が駿河に下向するのですが、その間の母子の危機を、一人の家臣が匿って難を逃しました。
小川(こがわ)城主 長谷川長重の婿養子、長谷川正宣でした。
実は この長谷川家、テレビ時代劇~鬼平犯科帳~に登場する火付盗賊改方の鬼の平蔵こと、長谷川平蔵の先祖にあたります。
長谷川平蔵の先祖、駿河 長谷川家。
テレビ時代劇~鬼平犯科帳~で火付盗賊改方という役で江戸市中の治安を守った長谷川平蔵(実在した人物)を輩出した駿河 長谷川家は、もとは大和 藤原氏に連なる家柄で、駿府の西、三ヶ名(さんがみょう~現在の焼津市西部)郷に土着した地侍として勢力を伸ばしました。
当主、長谷川重長は子宝に恵まれず、良き後継者をと思い、坂本郷(焼津市北部)に文武両道に噂高い加納次郎左衛門正宣を婿に迎え、小川城を託しました。
正宣は小川湊(現在の焼津港)での海運に田畑の管理と、海岸に近い会下島(えげのしま)に禅寺を建立するなど、仏法に深く帰依する長者として知られました。
1476年 文明8年、今川義忠が凱旋途中、塩買坂で倒れた戦いに正宣の父、重長も共に倒れ、文字どおり正宣は長谷川家の当主となります。
父 重長の喪も明けない中で今川家中の内紛が起き、正宣は今川の遺児 竜王丸と母、北川殿を小川城に匿って厚く庇護します。
1476年 文明8年、後継者争いが激化して家中を二分にした今川家。
先代 今川義忠の嫡子 竜王丸こそ、今川家を継ぐべきと考えた小川城の長谷川正宣は、対立する小鹿範満が縁者にあたる関東管領の扇谷上杉正憲の家宰、太田道灌を呼び寄せて威嚇、竜王丸と母 北川殿の身を案じ、小川城に匿います。
北川殿は、京で幕府に仕える父の下で働く伊勢新九郎盛時(後の北条早雲)に窮状を訴えました。
盛時は、8代将軍 足利義政に、竜王丸を今川氏の次期当主として認める御内書を認めてもらいます。
足利一門に連なる今川家の内紛は、関東に封じた堀越公方の動きを駿河で留めておきたい幕府に役の無いことと認識した義政は御内書を盛時に託し、盛時は義政のお墨付きを携えて駿河に下向します。
駿河に到着した盛時は、数百騎の軍勢で威嚇し、太田道灌を背後に擁する小鹿範満と対面、将軍 足利義政 直筆の御内書を披露した上で、竜王丸の元服まで小鹿範満を当主代理とする妥協案を示します。
小鹿範満は盛時の案に同意し、今川家中を二分した後継者争いは一旦 収束しました。
竜王丸と北川殿は、引き続き母子を推す家臣により保護されることとなります。
長谷川正宣の長谷川家は、この地で法永長者(法永は正宣の出家名)として知られ、子孫は今川氏の没落後に徳川家に仕えます。
徳川家康は豊臣秀吉の命により関東、江戸へ移封。
やがて長谷川家は江戸で火付盗賊改方〜(鬼の平蔵こと)長谷川平蔵宜以(のぶため)を生み出します。