高舘から望む北上川
高舘義経堂
岩手県西磐井郡平泉町 柳御所高舘
義経堂 御朱印
義経堂は距離は離れていますが、毛越寺の所管として運営されています。
義経堂は距離は離れていますが、毛越寺の所管として運営されています。
義経堂社殿
稀代の政略家、藤原秀衡は文治三年(1187年)10月29日に平泉の行く末を源義経と、藤原泰衡、国衡、忠衡の三人の息子に託して黄泉路に旅立ちました。
義経が病床の身にあった秀衡の元に逃げ込んだのは、東国以北を鎌倉の支配下にと狙う源頼朝にとっては好都合でした。
頼朝の謀略の使いは秀衡病床の頃から続いてはいましたが、秀衡はそれを歯牙にも掛けずやり過ごしていたものの、やがて平泉からの対応の変化を敏感に読み取った頼朝は、ここに秀衡の死を確信し、鎌倉の源頼朝は朝廷からの宣旨を泰衡と秀衡の舅で、影響力のある前陸奥守である藤原基成に宛て、自身からの通告書を含めて度々発給して平泉に圧力をかけます。
文治4年(1188年)2月に発給された宣旨には、
当初、義経の身柄引き渡しを求める書状のみだったものの、恭順の意を示しながら実行しないとみると、11月、宣旨の通り実行しないのであれば、追討軍を鎌倉で起こし、官軍として奥州に下ると脅し、ついに翌、文治4年4月に発せられた御教書(みぎょうしょ〜幕府執権、官吏あるいは従三位権中納言以上の高級貴族の発給した通告書)を奥州追討の一文を記して最後の脅しをかけます。
文治4年(1189年)閏4月30日
ここに、父、秀衡の遺言の順守を考えていた泰衡もついに耐えられなくなり、数百の軍勢を起こして義経を襲います。
この時、義経は高舘に居たのか、藤原基成の居館だった衣川館(推定地不明)に居たのかは不明ですが、義経生涯の郎党である武蔵坊弁慶、伊勢三郎義盛、鷲尾三郎義久、佐原十郎義連、片岡八郎広経、鈴木三郎重家、亀井六郎重清の兄弟、備前平四郎ら主従が防戦する中、持仏堂に入り、妻子を殺し、自害しました。
さらに義経に近い末弟の忠衡を攻め滅ぼし、
本懐を遂げ、平泉の安堵を確信した泰衡でしたが、頼朝は甘くはなく、日頃より義経を匿っていた所業は反逆の兆しありと更に宣旨を発給させて奥州追討の軍を起こし、平泉征伐を開始します。
8月
奥州十七万騎ともいわれる軍勢を起こし、阿津賀志山に防塁を急遽築いて迎え撃つ奥州軍ですが、秀衡が奥州の大将軍にと病床で託した義経は既に後継者たる泰衡が攻め滅ぼして亡く、代わりに大将軍として立った長兄、国衡は阿津賀志での緒戦こそ奮戦するも、泥濘の田に身動き取れなくなり討ち取られます。
8月8日
恩賞目当ての総勢28万騎もの鎌倉武者が雪崩れ込むと阿津賀志防塁を守る奥州軍は崩壊、泰衡も平泉へと逃げ込みます。
8月11日
泰衡は父祖三代が築いた黄金の政庁である平泉を焼き払い、わずかな供回りで出羽国(現在の秋田県)方面へ逐電しました。
8月12日
文字通りの征夷大将軍として平泉に入った頼朝の眼に映ったのは、無残に焼け落ちた都の姿でした。
吾妻鏡によるとこの日の様を、
【杏梁桂柱の構、三代の旧跡を失い、麗金昆玉の貯え、一時の薪炭となる】〜【主はすでに遂電し、家はまた烟(けむり)と化し、数町の縁辺は寂莫(せきばく〜物静か、静寂な様)として人無し、累跡の郭内彌滅(いよいよに)して地のみあり、ただ颯々(さつさつ)たる秋風、幕に入る響きを送るといえども、粛々たる夜雨、窓を打つ声を聞かず】。
と結びます。
9月2日
出羽から海路、夷狄島(現在の北海道)を目指した泰衡でしたが、譜代の家人だった河田次郎に裏切られ、無残にもその首は頼朝の元へ運ばれました。
頼朝は北上川をさらに北へ、厨川(現在の岩手県都、盛岡市)へと進み、9月17日、泰衡の首を晒します。
この地は康平5年(1062年)の同日、頼朝より五代前の先祖、頼義が前九年の役で戦勝した地で、頼朝はここに先祖、頼義、義家父子による前九年、後三年の役以来の戦勝を厨川にて報告しました。
9月18日
18の日は、頼朝が生涯墓前に向き合い、慎む日としていました。かつて、平家討伐を誓い、挙兵に及ぶ際にも、18日を避け前日の17日、治承4年8月17日の夜に山木兼隆を急襲し、狼煙を上げました。
頼朝は平泉の僧を呼び寄せ、盛大な法要を営み犠牲者を供養し、泰衡の首は八寸釘を眉間に打ち付けた格好で中尊寺に払下げとなり、藤原三代の父祖と共に葬られました。
ここに頼朝による奥州仕置は終了し、陸奥、出羽には地頭を設置し、鎌倉による奥州支配が始まりました。
追記
文治4年4月30日
泰衡が義経を襲撃する当日の朝、義経古参の郎党〜常陸坊海尊が姿を消しました。
これは、義経の命とも、藤原秀衡と義経、三者による示し合わせにより、密かに嫡子を伴い平泉を脱出したともいわれています。
この男児については、後の歴史の一部分に記されていますが、それは別途、取材、探索した後に記事にまとめたいと考えています。