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日本歴史紀行

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林叟院(りんそういん)

静岡県 焼津市坂本1400


東名高速道路 日本坂パーキングエリアからも望める焼津市の高草山。

いまでは、気軽にウォーキングできる山として利用者も多い高草山山麓に、今川氏の後継者争いで重要な役割りを果たした家臣 長谷川正宣が創建した林叟院があります。





境内の六地蔵

林叟院は、当初は、この地の長者 長谷川正宣が自身の営む小川湊近く会下島(えげのしま)に1471年 文明3年に、遠州高尾山の曹洞宗 石雲院で、石雲七哲と称される名僧 繁哲(はんてつ)を招いて創建しました。

神仏に深く帰依する長者、長谷川正宣の寄進もあり、繁栄する林叟院ですが、1497年 明応6年、一人の異叟(異相)の修験僧が現れ、繁哲に~近く天変地異が起こる。と告げました。

繁哲は修験僧と移転に相応しい土地を探しますが、自然と高草山の山麓に足が向きました。

~この地こそ相応しい。私の言葉を信じるならば、寺をこの山麓に移しなさい。さすれば、護法の山神となって護りましょう。~と告げました。

そう修験僧が告げると、修験僧の姿は消え、杉の木の根元に石が残るのみでした。





境内の杉




山神血脈石の石碑

繁哲は出来事を長谷川正宣に相談しました。
正宣は、直ちに移転すべきと応じます。
修験僧の移転を示した場所は、正宣の実家一族~加納家が治めた坂本の地でした。

寺の伽藍はその年の内に整備され、正宣も繁哲もとりあえず安堵します。


翌年 明応7年 8月25日、東海道沖を震源とする大地震が発生します。明応大地震です。

震度に換算すると6強、地震のエネルギーを示すマグニチュードは8.6とされ、阪神淡路大震災に匹敵する大地震となりました。

この地震で関東から紀伊地方まで津波が襲来し、淡水湖だった浜名湖が太平洋と繋がり湖面域が拡大するという甚大な被害を及ぼしました。

津波により、会下島の林雙院跡地は跡形もなくなり、修験僧の予言が真実となりましたが、坂本に移転した林雙院は被害を免れました。





宝篋印塔





鐘楼

繁哲の教えを乞う僧が後をたたず、末寺を260に増やす名僧の林叟院は、かつて後継者争いの折り、長谷川正宣に保護された今川家当主の氏親も歴代当主で唯一曹洞宗に帰依するなど隆盛を見せ、
寺の行く末を安堵した繁哲は弟子が建立した静居寺
に移り、1513年 永正9年に静かにその生涯を閉じました。齢75歳でありました。







庫裡




長谷川正宣(法永長者)の墓 右側 左側は正室墓



長谷川正宣の墓


妻の墓





長谷川正宣は1516年 永正13年に 87年という長寿を全うし、長年 寄進を惜しまなかった林叟院で眠ります。

長谷川家は孫の代に今川氏の没落を契機に徳川家康に仕え、三方原の戦いで縁者を多く失うも、家康 最大の負け戦を支えた譜代家臣として扱われ、江戸時代は旗本として続き、10代将軍 徳川家治の時代、長谷川家を継いだ平蔵宣以(へいぞうのぶため)は火付盗賊改方の役で活躍、時代劇~鬼平犯科帖~のモデルとなりました。




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