頭陀寺 山門
頭陀寺 本堂
頭陀寺
静岡県浜松市南区頭陀寺町
頭陀寺は遠州でも有数の古刹で、創建は飛鳥時代と伝わります。
地侍 松下氏かこの一帯を治めました。戦国時代後期の天文20年、1551年には、14歳の日吉丸(後の豊臣秀吉)が浜松周辺に放浪中に当時の頭陀寺城主 松下加兵衛之綱に気に入られ、仕えました。
三公像
左から豊臣秀吉、徳川家康、井伊直政
豊臣秀吉(日吉丸)像
生まれ故郷の尾張を飛び出し、駿河を目指した日吉丸(豊臣秀吉)は、曳馬城下(現在の浜松城下)で、松下加兵衛之綱に声をかけられ仕えました。持ち前の愛嬌と機転の効く日吉丸でしたが、彼の存在を快く思わない古参の家臣らの妬みを生んでしまったため、松下嘉兵衛は仕方なく日吉丸に暇を出しました。
後年、大出世した秀吉は、この頃の恩を忘れず、松下家を大名へと引き立てます。
徳川家康(竹千代)像
少年時代の家康は、駿河 今川義元の人質でした。
遠州 中村(現在の浜松市雄踏町)に一時、居を構えた際に頭陀寺を訪れました。
また、1568年 徳川の遠州攻略の際に、松下氏はいち早く味方となり、家康は頭陀寺に陣を置きました。
井伊直政(虎松、万千代)像
遠州 井伊谷の豪族、井伊氏の後継ぎである直政は、父の直親が駿河守護の今川義元への謀反を疑われ、遠州掛川で謀殺され、幼少の直政も命を狙われました。直政は三河の鳳来寺へ難を逃れます。
直政が今川義元の支配下にある遠州、三河の国境を逃げることができた要因に、松下源太郎清景の弟で修験者の松下浄慶の働きがありました。
井伊氏は松下氏との間で生き残りを賭けて婚姻を結びます。
松下源太郎清景の元へ直政の母、ひよが嫁入りし、繋がりを深めます。
後年 今川が遠州を追われ、徳川家康の支配となると、機を見た松下清景、直政の養母 直虎らの計らいで鷹狩りを楽しむ徳川家康に謁見、小姓として仕えることとなりました。
頭陀寺城跡、松下屋敷跡