薬師寺 大講堂
奈良県奈良市西ノ京町
薬師寺 大講堂は、当時 講堂として、692年 持統天皇6年、天武天皇の後を継ぐ形で即位した
持統天皇が飛鳥 浄原の地に造営を命じて、本尊に阿弥陀大繍仏を安置した伽藍で、その後 都が藤原京に遷都されると薬師寺も藤原京に移りました。
大講堂は、薬師寺の金堂などがある「白鳳伽藍」の中心部といってもよい位置にある境内最大規模の建築であり、2003年に再建された比較的新しいお堂となっています。
伽藍の規模は、正面約41m・奥行約20m・高さは約17mというもので、奈良市内の仏堂建築の中でも有数の規模を誇るばかりか、薬師寺の金堂よりも大きな伽藍となっており、「金堂」よりも「講堂」が大きいという古代伽藍らしい様式は、創建以来、学僧による経典、仏法を学ぶ場だけでなく、仏教研究(教学)を重んじる仏閣としての歴史を反映したものとなっています。
かつては持統天皇が夫である天武天皇を弔うために造り上げた阿弥陀浄土を写した「大繍仏像」が祀られていたとも言われる大講堂は、平安時代には奈良で行われた大規模な法会〜南京三会〜の一つである最勝会が行われる舞台としても機能し、「最勝会」は勅使をお迎えして盛大に実施されたともされていますが、その後講堂は失われることになり、21世紀になって現代の建築技術の下で再建されたものが現在の大講堂となっています。
平成の現代に再建された大講堂は、710年 和銅3年に平城京遷都して西ノ京に再建された現在の地に2003年に甦った薬師寺最大面積の伽藍で、薬師三尊が本尊として安置されています。