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日本歴史紀行

現代語訳 徳川実紀 39 桶狭間の戦い〜義元無惨


織田信長公像
名古屋市緑区桶狭間古戦場公園



桶狭間の戦い〜義元無惨

意気揚々と行軍していた義元殿は、土地の者が献じた行厨(こうちゅう〜弁当の意味)と酒に舌鼓を打った。


〜勝って兜の緒を締めよ〜
義元の生きる戦国の世から言われ始めた、教訓のような言葉を今川の将兵たちは、暑さと相次ぐ戦勝の知らせの流れで忘れ去り、敵地で領民に振る舞われた行厨で空腹を満たし、酒で喉を潤した。


元康君の大高城兵糧入れと丸根砦を早々に陥落させた殊勲は予想以上の戦果に義元殿は上機嫌だった。

元康が居れば、氏真を立派に支えてくれよう。


もはや、義元殿に二千程度と伝わる信長の兵力など眼中にはなく、清洲を陥落せしめた後の尾張国の経営に思案を巡らす。





そこへ、先発隊の葛山信貞の使番が駆け込んできた。

〜鳴海城へ通じる鎌倉街道で織田の先鋒らしき軍勢を壊滅させました!〜

〜ほう、信長の兵力は如何程じゃ。〜

〜およそ、三百にありました!〜

〜ほっ、三百のう。〜

織田勢を尽く打ち破る戦果の報に、
あまりに微弱な相手と、義元殿は信長を気の毒にすら思い始め、宴席と化した陣中で謡を吟じさせ、酒を注がせた。



丸根砦を落とした元康君は、守兵を置いて大高城に戻ると、天守の大屋根に登って伊勢湾の雲の流れをしばらく展望していた。

〜殿、如何なされました。〜

平八郎が長く外を眺める元康君の様子に問いかけた。

〜鍋、嵐が来そうだのう。〜
〜殿、わしは平八郎でござる。〜

〜そうだったのう。平八よ、雨が長引けば、
義元様の到着も遅れるでのう。〜

漆黒の雨雲が伊勢湾から みるみる広がっていた。

〜義元様は退屈がお嫌いな方じゃ、長雨になれば、また出陣して織田勢を討ち取りに行けと言い出すかも知れぬ、兵に今のうちに腹ごしらえさせよう。〜

〜はっ。〜

〜昨日獲った猪があったのう、猪鍋じゃ。〜

元康君から離れずにいる平八郎も笑みを見せた。


元康君の見立て通り、伊勢湾から流れて来た雨雲は雷鳴を轟かせながら激しい雨となって視界に入る一帯の地面を打ち付け出した。


高徳院 今川義元本陣跡
愛知県豊明市





おけはざま山〜今川義元本陣跡
名古屋市緑区

この雷雨に慌てたのは義元本隊である。
近習たちは義元殿を濡らせまいとして義元殿を輿に避難させ、窪地に天幕を張って雨避けとした。

雷雨は半刻足らずで足早に去っていった。
今川の将兵たちも雨を避け木陰に隠れて分散していた。

間もなく
輿の中の義元殿の耳に、俄に騒がしい怒声や悲鳴にも似た声が聞こえ始めた。 

義元殿は雨中で近習たちが喧嘩を始めたと思い込んだ。

〜これ、喧嘩をやめよ…〜

朱輿の輿戸を開けた義元の視界の先に雪崩れ込む軍勢が入った。

大軍ながら今川本隊の兵は武装を解いて暑気払いの酒を煽っていたため、次々と信長の足軽たちの餌食となっていっていた。

しかも、信長は軍勢に敵兵を討ち取っても、討ち捨てよと厳命していたため、誰も討ち取った敵兵の首に執着せずに義元の姿を探した。

義元殿の朱輿は格好の目印となった。
義元殿を守る様に近習たちが固まる様子に信長の軍勢も義元の姿を見つけ出した。

近習らが次々と倒れたため、義元殿は輿を捨て逃走を計ったが、信長の将兵 服部小平太に追いつかれた。

〜今川義元殿とお見受けいたす!織田信長が家臣、服部小平太也!御首頂戴いたす!〜



公家風の体躯に似合わず腕に覚えのある義元殿は薙刀を抜き、あっという間に服部小平太の膝を裂いてみせたが、続けざまに毛利新助に組付かれた。

怒号にも似た悲鳴を上げながら、義元殿は首を狩ろうとする毛利の指を噛み切ってみせたが、ついに首を渡してしまった。

〜毛利新助!
大将、今川義元を討ち取ったり!〜

駿河、遠江、元康君の生国 三河を治め、つい半刻前まで信長の尾張をも手中にしようとしていた今川義元、齢四十二 厄年の最期だった。


今川義元公首洗い泉



今川義元公首実検跡
名古屋市緑区長福寺境内








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