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日本歴史紀行

現代語訳 徳川実紀 55 三河武士の諭し方



諫言…諫言にも様々ある。


他家ならば、主君を神のように崇め畏れる家もあるのだろうが、ここ、三河は一味違う。



家臣、鈴木久三郎の話



今川、織田の草刈り場として散々苦しい思いを乗り越え、三河には若い元康君(大殿)が帰参し、稗や粟の粥すら食することも間々ならなかった家臣たちも、今では日々何とか食べることが出来るまでになった。


まだまだ東へ乗り出し、旧領を回復するという思いは主従共通の宿願で、今川の弾避けの尖兵にされていた当時の戦とは違い、我らの伝来の地のため…やがては天下を…と意気盛んになりつつある。 このことに結束していた今の三河武士は本当に強かった。


勝利を重ねたある日、元康君が日課のように楽しみにしている鷹場で鳥を捕っていた者がいたということを奉行から知らされた。


それだけではない。
岡崎城の濠に放してある魚を捕って食べてしまったという者も番卒の知らせにて判明した。


鷹場は元康君が日々の食より好む趣向であるのみならず、一度は見逃そうとはした…が、


どちらの場にもみだりに立ち入るべからずと禁足にしていたのに、続けざまのこの事態にこれは捨て置けぬと召捕り、後日、成敗するのだと牢に閉じ込めていた。



また ある日、信長殿から清州への返礼の品として元康君が受領し、大切に酒蔵に仕舞っておいた酒を、鈴木久三郎が大殿から拝領したと嘘を言って勝手に持ち出し、しかも池に放してある三匹の鯉の内の一番大きな鯉を酒の肴に皆に振る舞って平らげてしまった。


鯉も信長殿から返礼品として頂いた大鯉である。

信長様のあの御気性である。
場合によっては三河を滅ぼし兼ねない…


ついに堪忍袋の緒が切れた元康君は烈火の如く怒り、薙刀を手にして鈴木久三郎を呼びつけた。


久三郎は察していたらしく、差していた大小をさっと手離し平伏して言い放った。


〜これはこれは恐れ入ったことを致しました。鳥や魚、それに酒ごときが人より重きとは…やがては天下をと仰せになっていたとはとても…某、大殿を見損っておりました…さぁ、存分にお斬り下さい。〜


〜ま、待て。わしが心得違いをした一命を赦す。〜


元康君はそう言って立ち上がると奥に引っ込んでしまった。

間もなく牢屋から閉じ込められていた家臣が放免された。

(岩淵夜話別集)



魚や鳥ごとき人に替えて大局を見誤ることこそ国を滅ぼす一因となる。


鈴木久三郎
後年、三方原の戦いで家康が死を覚悟した際、追撃してくる武田の軍勢に対し、家康である手柄にせよ!と大音声し家康敗走の時を稼ぎ戦死。










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