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日本歴史紀行

現代語訳 徳川実紀 53 猛将の片鱗

53  猛将の片鱗




長年の宿敵、尾張の織田殿と和議と相成り、西の領地は、境川を両国の境界とした。


【東を切り取る。】
これを機に元康君はその目を東三河へ向けた。


元康君の岡崎帰還に留守を守っていた重臣達も喜び、敵方に寝返った城を次々と奪い返していった。


当面の狙いは要衝、吉田城と牛久保城であるが、その前に枝葉の如くある付城を落とす必要があった。


まずは吉田城の前に立ちはだかる登屋ケ根城を勘四郎信一に命じて攻めさせた時のこと。


この登屋ケ根城攻めでは、元康君が烏帽子親となり、桶狭間で初陣を果たした鍋之助〜(本多平八郎忠勝)が叔父の肥後守忠真に付き従っていた。


大殿が帰参し、はやる気持ちも抑えようが無い程、士気は旺盛であった。


散々に攻め立て、もはや本丸も落ちるとみられた時、肥後守忠真が雑兵を組み伏せて叫んだ。


【 鍋!この首を取れ!手柄とせよ!】


肥後守忠真は甥の鍋之助(平八郎忠勝)に敵の首を取らせ、功名を譲ろうとしたが、鍋之助(平八郎忠勝)は、この叔父の譲り首の申し出に激昂した。



【我、叔父上の力を借りての功など、何の意味がある!…… 〜我、何ぞ人の力を借りて、以て武功を立てんや〜(寛政重修諸家譜より) 】


こう叫んだ鍋之助は雑兵を組み伏せてる肥後守忠真を飛び越え、猛然と敵陣の中に駆けていった。


肥後守忠真は一番槍の名誉と引き換えに討死した鍋之助の父、平八郎忠高の悪夢を脳裡に過ぎらせた。


ところが、その悪夢は無用であることを知る。
間もなく悲鳴のような声を上げながら敵兵が散らばってゆくと、返り血にまみれながら、斬れ味の悪い槍で討ち取った敵の兜首を手にして悠然と鍋之助が戻ってきた。

肥後守忠真は甥の姿に末恐ろしい猛将の片鱗を垣間見た。



後日、論功行賞の席で元康君に拝謁した肥後守忠真は平八郎忠勝について。

【後、必ずや物の用に立つべきものなり】

現代語訳〜【将来、必ずや御家の役に立つでしょう】 

と口上を述べ、むせび泣いた。




鍋之助〜本多平八郎忠勝
後の徳川四天王と称され、桶狭間の戦いから関ヶ原まで家康の大小57度の合戦に従い、掠り傷ひとつ負わず、仇敵、甲斐武田氏の小杉左近をして、家康に過ぎたる者と褒められ、他家の武将たちから畏怖された徳川家随一の猛将。


肥後守忠真
本多平八郎忠勝の叔父。
父、平八郎忠高を失った乳飲み子の平八郎忠勝に武将のみならず、読み書きに至るまで、すべてを教え込んだ猛将。三方原の戦いで討死。


勘四郎信一
松平伊豆守信一(のぶかず)
家康の祖父、清康の従兄弟にあたる縁者で、桶狭間以前から家康に従って信頼関係は深く、江戸幕府開府の後は常陸国、初代土浦藩主となる。





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