田宮の軍艦木製模型 大和
タミヤ本社 歴史館
昭和34年、木製模型の販売が軌道に乗り、【船の田宮】と呼ばれてきた田宮模型でしたが、前年辺りから輸入販売され始めてきたプラスチックモデル〜プラモデルが田宮模型の運命の変えることになります。
東京、浅草の輸入雑貨店にプラモデルが入荷したと聞いた田宮俊作氏は、早速 父、義雄氏と店舗に足を運び、その商品を目の当たりにしました。
俊作氏と父、義雄氏がアメリカのメーカー、モノグラム社製のパットン戦車を手にしました。
父の起こした田宮模型に、まだ入社2年目であったものの、開発と生産に直接関わっていて、妥協せずに製品を世に出してきた自負もあり、また、ファンからは【船の田宮】と称賛され、自社の製品に自信にもあった田宮俊作氏でしたが、プラモデルの箱を開封してみると、金型により成形されたパーツは、ランナーと呼ばれる枠に枝葉の様に部品が整然と並んでおり、説明書に沿って部品を切り取り、接着剤を使って組み立てるだけという、俊作氏から見れば衝撃的なものでした。
誰でも完成品を仕上げることの出来るプラモデルは、工具の使用や製作の表現に個人の技術差が如実に出る木製模型とは雲泥の差がありました。
プラモデルの登場は新素材の話題と模型市場に新たなファンを獲得し、模型イコール〜プラモデルという流れが生まれ、生き残りを賭けて、田宮模型もプラモデルの発売を視野に入れざるを得なくなります。
昭和34年暮れ、田宮模型はプラモデル開発を決断します。
田宮模型最初のプラモデルは、【船の田宮】を象徴する戦艦大和でした。
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