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日本歴史紀行

歴史紀行 68 連城寺 平重盛 供養塔


平重盛 供養塔(左側)
静岡県磐田市新貝 連城寺


平安時代末期の治承3年(閏7月29日)(1179年9月2日)
当時、絶大な権力者であった平 清盛の長男、
平重盛が亡くなりました。


朝廷内での権力対立を巧みに利用し、保元の乱、平治の乱を勝ち抜いて公卿、太政大臣にまで登り詰めた平 清盛。

清盛による勝者となった武家政権は、全国の荘園(田畑、所領)を平氏に連なる者が独占、莫大な利益を獲た結果、多くの民が平氏への不満、恨みを持つことになります。


清盛の長男、重盛は、父の清盛の偉業をよく支えてきましたが、清盛による覇道と対立を深めた後白河法皇との間で次第に苦しみ、42歳の若さで病に倒れ、亡くなりました。





平重盛 卿 頌徳碑



三白山 連城寺

清盛の覇道に苦しんだ重盛は、救いを求める様に多くの仏閣を建立、連城寺は重盛が病没した治承三年に創建されました。




磐田市、連城寺の墓地には、遠江守でもあった重盛の供養塔が父、清盛と並ぶ様に建立されています。


重盛の病没から三カ月、清盛は後白河法皇を幽閉して院政を停止し、法皇と平家は破局を迎え、法皇の皇子、以仁王が平家追討の令旨を出す流れとなり、平家の支配を終わらせるべく、源頼朝を担ぎ上げ、関東の武士団が立ち上がることになります。





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