
志村鉄一碑
北海道札幌市豊平区豊平4条1丁目
1857年 安政四年、
幕府の石狩役所調役として赴任する荒井金助に付き従う形で蝦夷地(北海道)の土を踏んだ志村鉄一。
幕府が外圧で箱館、下田を開港したとはいえ、
ロシアによる樺太、千島列島への南下政策は、蝦夷地に危機をもたらしました。
蝦夷地を幕府直轄領として箱館奉行を設置し、小樽の北、石狩に役所を置き、荒井金助を調役に命じました。

札幌市内を流れる豊平川
荒井金助の仕事は開拓の指導から農法、道路の整備と多岐に渡り、内陸へ通じる現在の札幌、豊平川は暴れ川として行く手を阻む大河でした。
荒井金助は豊平川の東と西に通行屋を開かせ、東側の通行屋に志村鉄一と西の通行屋には福山(現在の松前町)から来た猟師、吉田茂八に渡し守を命じます。
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