山本淳子氏著作「平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む」から抜粋再編集
姉大君を亡くした中の君のもとに、新春、山の阿闍梨から早蕨など春の山菜が届いた。昨春はこれを姉と共に受け取り、山寺で死んだ父を偲んだのだった。今年はそれもできないと中の君は歌に詠んで嘆く。その面差しは様々の物思いにやつれて大君に似てきており、気配などそのものと紛うほどである。
同じく大君への喪失感の癒えない薫は、匂宮に思いを打ち明け、慰められてようやく立ち直る。そんな薫に匂宮が中の君を京に迎える計画を相談すると、薫は中の君を大君の形見と思っていると明かし、後見を続ける意志を伝える。ただ薫の胸中には、大君がかつて自分と結婚させたがった中の君への執着心が兆していた。だが薫は後見に徹し、中の君の上京の準備をこまやかに整え、出立前日には自ら宇治を訪れた。既に出家し宇治に残ると決めていた弁と共に、薫は世の無常を語らい、大君を偲んだ。
二月七日の上京の途次、中の君は懐かしい宇治や大君の思い出から離れる憂いを感じていたが、京への道の険しさに気づくと、匂宮の訪れの間遠だったことが納得された。
二条院では待ち受けた匂宮が中の君を寵愛する。この事態に右大臣・夕霧は苛立ち、我が娘・六の君(実は光源氏の乳母子惟光の娘)と匂宮との結婚準備をを進めた。渦中の二条院では、薫は心中に嫉妬と悔恨を抱きつつ中の君を訪ね、匂宮は薫に気を許すなと中の君を戒め、危うい均衡の上に身を置いて、中の君はあちらこちらに心を砕くばかりだった。
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平安の不動産、売買と相続
実は平安時代でも、不動産の管理は人々が神経をとがらせることだった。「源氏物語」にもそうした例が散見される。例えば宇治十帖の舞台である宇治の八の宮邸は、八の宮と長女の大君が相次いでみまかった後、「早蕨」巻では中の君が匂宮の二条院に引き取られて、とうとう主なき宿となってしまう。こうした不動産は、その後どのように扱われたのだろうか。
不動産は、売買されたり相続されたりして、所有者が変わる。平安時代の文書を集めた「平安遺文」には、現在でいうところの売買契約書にあたる土地建物の「売券」が数十点、収められている。それによれば、土地を売り買いする場合は役所に申請し、役所はその内容を確認して売券を作成した。
そこには土地の所在や、建物がある場合はその詳細が記され、売る者、買う者、そして保証人が署名する。売券は二通作成され、一通は買った者、もう一通は役所が保管する。万が一、売券が火事で焼けたり紛失したりしたときには、申請を受けて役所が再発行することもある。平安の制度も結構きっちりしていたのだ。
では、最初に触れた「源氏物語」の宇治の八の宮邸は、その後どうなるのであろうか。父と姉の亡き後、邸宅は中の君に相続された。だが「早蕨」の次の「宿木」巻以降、八の宮邸を解体改築しようと動くのは、おかしなことに薫である。他人の薫には何の権利もないが、中の君に提案して、邸をすっかり変えてしまうのだ。
そこにはおそらく、薫の苦しみがある。八の宮や大君との思い出の邸宅、だが、だからこそ目の前からそれを、早く消し去ってしまいたい。改築の槌音を聞きながら、未練と諦観の間で、薫の心は激しく揺れているのだ。