D4 彰子と息子たち、国の権威としての信条と生き方 最終回
一条が死んで五年後の1016年、彰子の息子敦成(あつひら)が即位した。後一条天皇である。秋の新嘗祭は一代一度の大嘗会...
D3 彰子と息子たち、彰子は女院「上東門院」に
彰子のその後 彰子はどうしていただろう。彼女は平安時代には珍しい、実に八十七歳という長寿を生ききった。一条が死んだときはまだ二十四歳。名実ともに、その人生の本番は一条が死んで...
D2 彰子と息子たち、清少納言と人々のその後
清少納言は都にいた。 清少納言が月の輪にかへり住む頃― ありつつも雲間にすめる月のはを いくよながめて行き帰るなん ― 清少納言が月の輪の山荘に帰って夫と住みだした頃 ...
D1 彰子と息子たち、紫式部、人々のその後
(参考図書が変わったので、今までの内容と一部重複することをご容赦ください) 一条天皇の死から二年後の1013...
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