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簡略版「今ひとたびの、和泉式部」第二回

2023-11-22 11:06:35 | 簡略版「今ひとたびの」
簡略版「今ひとたびの、和泉式部」第二回

  式部は、冷泉上皇の名ばかりの妻である太后の孤独(子がなかった)を目の当たりにしていた。一方で、一夫多妻があたりまえの時代に、式部の両親や大江邸(父の実家:匡衡(まさひら)邸)の当主夫婦のように一夫一妻をつらぬく夫婦も見てきた。とりわけ養父母(匡衡と赤染衛門)は仲むつまじく、式部は幼心にも養母のようになりたいとあこがれていたのだ。

  そんな両親のめがねにかなったのが橘道貞だった。
  道貞は父の部下、精進(しょうじん)だから官位は低いが、実務の才のある凛々しい若者で、なにより橘家のありあまる財産を相続していた。道貞の「道」が左大臣・藤原道長に気に入られて賜ったものだということも将来のある証拠、むろん財力がものをいったのだろう。

  「末は国司になる男だ。となれば濡れ手で粟」
  父がいえば母もいう。
  「妻はいない(多妻にはならない)そうですよ。歌も官学も苦手とか。そのほうがかえって安心です。軽々しゅう女のもとへかよう心配もありません」

  両親のお墨付きなら反対する理由がない。相聞歌に胸をときめかせたり、ひと夜の逢瀬に身も心も蕩(とろ)けそうになることはあっても、それとこれとは別物。

  とはいえ、道貞の求婚をうけいれるについてはためらいもあった。太后はなんというか。ずっとおそばに・・・と誓った手前、どんな顔で打ち明ければよいのだろう。
  案ずることはなかった。
  「ほほほ、それが女人と申すもの。というても、わらわには縁なきことなれど」
  太后は祝福し、「幸せにおなりなさい」と送りだしてくれた。

  数々の不幸を一身に背負いながらも、温かく大らかな心で導いてくれた太后ー-。

参考 諸田玲子氏著作「今ひとたびの、和泉式部」

簡略版「今ひとたびの、和泉式部」第二回

2022-10-16 10:47:31 | 簡略版「今ひとたびの」
簡略版「今ひとたびの、和泉式部」第二回

  式部は、冷泉上皇の名ばかりの妻である太后の孤独(子がなかった)を目の当たりにしていた。一方で、一夫多妻があたりまえの時代に、式部の両親や大江邸(父の実家:匡衡(まさひら)邸)の当主夫婦のように一夫一妻をつらぬく夫婦も見てきた。とりわけ養父母(匡衡と赤染衛門)は仲むつまじく、式部は幼心にも養母のようになりたいとあこがれていたのだ。

  そんな両親のめがねにかなったのが橘道貞だった。
  道貞は父の部下、精進(しょうじん)だから官位は低いが、実務の才のある凛々しい若者で、なにより橘家のありあまる財産を相続していた。道貞の「道」が左大臣・藤原道長に気に入られて賜ったものだということも将来のある証拠、むろん財力がものをいったのだろう。

  「末は国司になる男だ。となれば濡れ手で粟」
  父がいえば母もいう。
  「妻はいない(多妻にはならない)そうですよ。歌も官学も苦手とか。そのほうがかえって安心です。軽々しゅう女のもとへかよう心配もありません」

  両親のお墨付きなら反対する理由がない。相聞歌に胸をときめかせたり、ひと夜の逢瀬に身も心も蕩(とろ)けそうになることはあっても、それとこれとは別物。

  とはいえ、道貞の求婚をうけいれるについてはためらいもあった。太后はなんというか。ずっとおそばに・・・と誓った手前、どんな顔で打ち明ければよいのだろう。
  案ずることはなかった。
  「ほほほ、それが女人と申すもの。というても、わらわには縁なきことなれど」
  太后は祝福し、「幸せにおなりなさい」と送りだしてくれた。

  数々の不幸を一身に背負いながらも、温かく大らかな心で導いてくれた太后ー-。

参考 諸田玲子氏著作「今ひとたびの、和泉式部」

簡略版「今ひとたびの、和泉式部」最終回

2022-03-02 09:06:03 | 簡略版「今ひとたびの」
簡略版「今ひとたびの、和泉式部」最終回

  太后は寝殿の身舎(もや)の御帳台で眠っていた。熱はないようだが、どこか痛むのか、ときおり乱れた息を吐いては苦しげに顔をゆがめる。
  もとより華奢な女人は今、ひとまわりもふたまわりも痩せて消え入りそうに見えた。それでも白い面は透きとおるようで、年相応のしわやしみは見えない。
「よう帰ってきてくれました。太后さまはだれよりおまえに会いたがっておられましたよ」
  母にうながされて、式部は御帳台のかたわらへ膝行した。

  太后は生後まもなく母を、三歳で父の朱雀天皇を喪った。後ろ盾のないまま冷泉天皇の后となったものの、精神を病んでいた天皇はわずか二年で退位、共に暮らすこともなく、人々からも忘れられたまま、長い年月、独居の日々を送ってきた。

  式部の母は末娘の式部を生んだとき四十をこえていた。六十をすぎた今は、ろくに寝ないで看病をつづけていたせいもあるのだろう老いがきわさっている。

  十一月になってようやく本格的にはじまった名僧たちによる法華経の読経や加持、千手観音など御修法(みずほふ 又は みしほ等)のかいもなく、太皇太后昌子内親王は十二月朔(ついたち)に崩御した。
  乳母だった式部の母は、父に支えられて歩くのがやっとで、亡骸にとりすがってはなれなかった。

参考 諸田玲子氏著作「今ひとたびの、和泉式部」

簡略版「今ひとたびの、和泉式部」第7回

2022-03-01 09:03:48 | 簡略版「今ひとたびの」
簡略版「今ひとたびの、和泉式部」第7回
面白くするのが難しいので次回を最終回とします。申し訳ないです。これからは、拾い読み形式で不定期に続けたい気持ちです。
ーー
  身分はともあれ、弾正宮はー-東宮の兄ともう一人の弟も・・不幸な生い立ちだった。父は常人にあらず、生母は幼いころ病死してしまった。遺された三兄弟は、外祖父である藤原兼家の三条邸で育てられた。その兼家も九年前に他界して、今は兼家の子の左大臣・道長が東宮、弾正宮、帥宮(そちのみや)という三兄弟の後見役をつとめている。

  幼い三兄弟の母親代わりとなったのが、冷泉上皇のもう一人の后妃、太皇太后昌子内親王だった。かたちの上の母子ではあったが、太后は三兄弟を愛しみ、よく宮中へ招いていたものだ。太后のお気に入りだった式部も一緒に遊んだことがある。

  それにしてもー-。
「太后さまのお見舞いにいらしたのでしたら、なにゆえ、こんなところにいらっしゃるのですか」
  牛車の屋形に隠れているとは腑に落ちない。

  御許丸と呼ばれていた式部はまだ女童だったので、宮のいうなりにはならなかった。いつだったか、太后からもらった手鏡をとりあげられそうになったことがある。断固として渡さなかった。それでも宮はあきらめず、強引に奪いとろうとした。もみあううちに鏡が割れてしまったのは、今おもいだしても口惜しい。

  式部は深呼吸をした。なぜ、もっと早く気づかなかったのか。
「御酒をすごしておられるのですね」
「そのとおり。さすがは式部どの。酔いをさまさないと病人を見舞えませんからね」
 弾正宮の放蕩は以前から噂になっていた。
  太后も眉をひそめていた。

「太后さまがお嘆きになられましょう」
  式部はこの場を切り上げようとした。今さらだが、顔を衵(あこめ)扇で男の不躾な視線をさえぎって歩き出そうとする。
 「お待ちあれ」と、またもや呼び止められた。「昔なじみの御許丸と、ぜひとも、二人きりで語り合いたいものですな。いかあ?」

  好色なまなざしをむけられて羞恥がこみあげる。
  式部はもう弾正宮の顔を見なかった。

参考 諸田玲子氏著作「今ひとたびの、和泉式部」

簡略版「今ひとたびの、和泉式部」第六回

2022-02-28 08:16:09 | 簡略版「今ひとたびの」
簡略版「今ひとたびの、和泉式部」第六回


  呆然と立ちすくんでいると、前方の簾がまきあげられ、ギシギシと屋形をゆらしながら男が出てきた。身をかがめているのではじめに見えたのは垂纓冠(すいえんかん:冠を固定する紐)で、次は光沢のある山吹色の小直衣、そして最後は指貫(たっぷりした袴)。降りたつ際に指貫がこすれあってもがさついた音がしないのは高価な二陪(ふたえ)織物か。二陪織物は皇族しか身につけられない。ということは・・・

 「都のことならなんでもお教えしますよ。もっとも、恋、以外は得手ではありませんが・・・」
  男は細殿に降りて、式部の行く手をふさいだ。直衣の裾をととのえるような仕草をしてから、おもむろに顔を上げる。

  あっと式部は息を吞んだ。
  ようやくわれにかえった侍女の一人が決死の覚悟で式部の前にとびだした。
 「どこのどなたさまか存じませんが、お無礼にございましょう」

  男は動じなかった。大仰に辞儀をして見せたのは、この状況を愉しんでいるのか。
 「ここは権大進さまのお屋敷ですよ。車舎でなにをしていらしたのですか」
  侍女は問い詰める。
 「少々、休んでおりました。見舞いに参ったものの足がふらつき・・」
 「見舞いッ」
  式部は目をみはった。

 「しばし休んでいたところ、おお、なんという幸運、式部どのがおこしになられた・・」
 「わたくしをご存じなのですか。そうだわ、今、わたくしの歌を・・」
 「式部どのの歌は都では大評判、知らぬ者はおりません。しかもわたしは人に先んじておぼえられる。太后さま直々に教えていただけるのですから」
 「太后さまが・・あ、あなたさまは・・」
 「見覚えがないとはつれないお人だなあ」
 「もしや・・もしや、弾正宮(だんじょうのみや)さま・・」
 「昔、御所で、いっしょに遊んでもらいました」

  弾正宮とは、冷泉上皇の御子の一人、為高(ためたか)親王である。

参考 諸田玲子氏著作「今ひとたびの、和泉式部」