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池谷裕二氏 脳の「無意識」を鍛えろ (3) 脳は何のためにあるのか?

2021-05-08 09:23:40 | 脳科学
脳は何のためにあるのか?

  地球上の生物のなかで、脳を持っているのは、圧倒的に少数派です。生物の総重量で見ても、脳を持たない生物の方が多い。ということは、人間は万物の霊長で地球を支配しているなんて馬鹿げたことを考えていますが、実は地球を支配している勝者は、脳を持っていない生き物なんです。脳は非常に燃費が悪く、人間では体重の2%を占めていますが、エネルギー消費量は何と20%にも上ります。生きるために脳があるはずなのに、脳を食わせるために、人間は苦労して食料を調達しているようなものです。
  では、人間は生存競争では不利になることを承知で、なぜ、多大な労力を費やして、ここまで脳を発達させたのでしょうか。
  私が長年、考えて出した結論は、「宇宙を早く老化させるため」です。

  「生命は宇宙を老化させるために存在する」という、ロシア出身の物理学者の説があります。
  彼は、「ビッグバンから始まった宇宙は、エントロピーが増大し、低エネルギーで安定した平坦な状態に向かっている」と言いました。「エントロピーが増大する」とは、秩序だった高エネルギーの状態から、無秩序で低エネルギーの状態へと移行していくことです。しかし、この宇宙の不可逆的な変化に逆行しているものが存在しています。・・・・それが生命なのです。
  私は「池谷裕二」として生きていますが、数カ月ですべての細胞は入れ替わってしまいます。でも、「池谷裕二」であることは変わりません。このように生命は形を保ちながら、構成する分子を入れ替えていきます。このような存在を先ほどのロシア出身の物理学者は「渦」と呼びました。海にできる「渦」を思い浮かべてください。それを形づくっている水はどんどんと入れ替わっていますが、「渦」の形は保たれています。生命もそれと同じだというわけです。
  「渦」の特徴は、構成物質を入れ替えながら、懸命に形を保とうとすることです。この振る舞いこそが、先ほど述べた秩序から無秩序、高エネルギーから低エネルギーという宇宙の不可逆的変化に逆らっているのです。

  では、なぜ生命は宇宙で存在を許されているのか。その存在意義はなんなのか。

  ここで、お風呂の水を抜いたときのことを思い出してください。お風呂の水を抜くということは、浴槽に溜まった水の形を壊し、水位を下げることですから、秩序から無秩序へ、高エネルギーから低エネルギーへの移行を意味します。つまり、「エントロピーの増大」が起きている。この過程で、浴槽の詮の周りには「渦」できます。この「渦」はなぜ生じるのか。これは「渦」を手で潰してみると、よくわかります。「渦」がないと、水がなかなか抜けません。つまり、「渦」は「エントロピーの増大」に逆行する存在でありながら、水を早く抜くために発生しているのです。
  (投稿者注:お風呂の「渦」を手で潰すやり方がイメージできないですけれど、ペットボトルに入れた水を考えれば、「渦」を作らないと水はなかなか抜けませんね)

  つまり、生命は宇宙の「エントロピー増大」の速度を速める「渦」の役割を担っていて、先ほど述べた「生命は宇宙を老化させるために存在する」という結論の意味です。
  そして、人間を見ればわかるように、脳を持った生命は、宇宙や自然を破壊する能力、すなわちエントロピーの増大を速める能力が非常に高い。このことが生命の中でも、人間が地球でいま、わがもの顔で振る舞うことを許されている理由だと考えられます。人間の高い自然破壊能力は、発達した脳の賜物です。

――おわり

参考:文藝春秋SPECIAL

池谷裕二氏 脳の「無意識」を鍛えろ(2)自由意志はどこに消えた?

2021-05-07 10:40:41 | 脳科学
自由意志はどこに消えた?

  1980年代にアメリカの生理学者がある実験を行いました。実験は被験者を椅子に座らせ、テーブルの上に手を置いてもらい、好きなときに手を動かしてください、とお願いし、被験者の脳の活動を測定しました。すると、「手を動かそう」という意識の上での決定よりも、「手を動かそう」という準備の方が0.5秒から1秒ほども早く始まっていました。最近の研究では、7秒も前に準備が始まっている場合もありました。つまり、「自由意志」が「手を動かそう」と命じるよりも前に「手を動かす」準備はすでに始まっていたことになります。
  この結果をどう捉えるか。脳科学者の間では論争が続いています。

  私は、そもそも「自由意志」を想定することがおかしいと考えています。
  それはなぜか。「手が動く」という現象は、脳のどこかの神経細胞と神経線維から発せられた電気信号が化学信号と電気信号に変換されながら、神経細胞と神経線維を伝わり、手の筋肉が刺激されて、手が動くことで起こります。この過程は物理学と化学ですべて説明できます。そして、その過程の発端はといえば、神経細胞と神経線維の表面のタンパク質上にある、ふだんは閉まっているバルブが開き、そこにナトリウムイオンが入ることです。つまり、すべての神経活動はタンパク質のバルブの開閉から始まるのです。
  だとすると、「自由意志」は、このバルブを開閉する物理的な力を持っていなければなりません。でも、私たちがイメージしている「自由意志」とは、意識に浮かぶ理念のようなもののはずで、それが物理的な力を持っているとすれば、「念力」になってしまいます。

(投稿者注:池谷裕二氏のモデル化した表現と、実際の生理的現象の混同?
・ふだんは閉まっているバルブが開き、そこにナトリウムイオンが入る
・「自由意志」は、このバルブを開閉する物理的な力を持っていなければなりません
という解説は少し論理の飛躍を感じます。
  「バルブを開閉」というのは独特のモデル化した表現であり、実際のナトリウムイオンの入る現象は生理的現象のはずです。投稿者は素人ですが、例えば脳内血管から脳に吸収する栄養成分を、脳を守るため成分を限定する仕組みがあります。供給可否を神経細胞などの監視の下で血管壁をすり抜ける成分を選択するモデルで、そこにはバブルを物理的な力で開くなどというモデルは見た経験がありません。池谷裕二氏は「念力」という刺激的表現を導き出すために解説に少々無理をしている気がします。当然ですが、素人に向けた専門家の解説のひとつとして考えてください)

  つまり、「思った」だけで、脳の中で「物質」が動くといっているに等しい。「自由意志」には目の前のコップを触らずに動かす力があるといっていることになります。ですから、私は脳科学を探求していくなら、「自由意志」という概念は使わない方がいいと思っています。

――続く 次回、脳は何のためにあるのか

参考:文藝春秋SPECIAL

池谷裕二氏 脳の「無意識」を鍛えろ(1)この世界は幻覚なのか?

2021-05-06 15:59:56 | 脳科学
この世界は幻覚なのか?

  「意識」の定義は、科学者によって異なるのですが、ここでは外にあると考えられている「世界」からの刺激を感覚器官で受け取り、その情報を元に脳が再構成して感知される「世界の内観」だと仮定的に定義しましょう。
  「意識」をそう定義すると、外の「世界」と脳内の「世界」が一致しているかどうかは、まったくわかりませんし、誰も確かめようがありません。その意味で「意識」は「幻覚」だといっていいと思います。
  でも、その脳が作り出す「幻覚」がなぜ、こんなにも生き生きとしていて、また、それをなぜ私たちはこんなにも生き生きと感じてしまうのか。本当に不思議です。

  私たちは当然のように「音を聴く」とか「光が見えた」とか「風を感じる」といっていますが、脳は音、光、風などを直接、感じることはできません。脳に入ってくるのは、感覚器官を通じて電気信号に変更された抽象シグナルだけです。音も光も風も脳に入るときには、全部電気信号に変えられてしまうので、そこに質的な差はありません。でも、脳はこれは耳(聴覚)から来た信号だから、音としよう、これは目(視覚)から来たから、光としよう、これは頬(触覚)から来たから、風圧としようと判断し、内側から身勝手に「世界」を再構成しています。
  なぜ脳はただの電気信号にすぎないものを左手の触覚から来たとわかるのでしょうか。なぜ常時、体中の器官からくる電気信号を適確に解読し、生き生きとした「世界」の一部とすることができるのでしょうか。よくわかっていないのです。

 (投稿者注:これはインターネットのパケット通信の仕組みを連想させます。つまり、電気信号を小さく区分けして、複数の発信元から出された信号の塊は、信号の塊に発信元と行先(宛先)のデータを含んでいて、信号の伝達途中でルータやスイッチング・ハブでそれぞれ指定された宛先に正しく信号を届けます。受け取る機器はその信号がどこからきたかすぐに識別できます。面白いですね)

  脳が「意識」を形成するときにやっていることは、たとえていえば、宇宙から謎の記号で書かれた「楽譜」が届けられて、そこに記されている「音楽」を再現しているようなものです。その「音楽」は聴覚に訴えることだけはわかっているにしても、どんな楽器を使っているのかも、どんな音階で作られているのかも、わからない。でも、脳は易々と「音楽」を再現してしまう。
  また、「黄色」という色は脳が作った「幻覚」そのものです。なぜなら、人の網膜には、赤と緑と青を感じるセンサーしかありません。でも、脳は赤と緑の電気信号が同時に来ると、勝手に脳内で色を混ぜて、「黄色」をつくってしまう。この現象は、右目に赤、左目に緑を同時に見せても起こります。つまり、このとき脳は外界にないものを脳内でつくっていることになります。それって、「幻覚」そのものですよね。
――続く

参考:文藝春秋SPECIAL

見直し版 脳の機能を知る(神経細胞とグリア細胞)、そしてよくわかっていない麻酔薬の作用

2021-05-04 12:17:47 | 脳科学
以下の内容で、麻酔の働きのメカニズムが不明となっていますが、特に全身麻酔については神経細胞の細胞膜が破壊され、神経細胞内部の電位差が消滅して情報伝達に携わるCaイオン等がバラバラになるので、Caイオン等の伝達方向が不定となり、神経細胞の情報伝達ができなくなる、というメカニズムと判明しています。
回復は麻酔薬を身体からなるだけ早く排出し、自然治癒に頼っているようです。
*****
グリア細胞の構成

  脳の細胞といえば、神経細胞(ニューロン)を思い浮かべる人が多いでしょう。しかし脳には、この複雑に絡み合う神経細胞を支えるもう一つの細胞、グリア細胞が存在します。家にたとえるなら、グリア細胞は屋台骨を支える柱のようなもので、数も神経細胞とほぼ同じであることがわかっています。
  グリア細胞は、アストロサイト(星状膠細胞)、オリゴデンドロサイト(希突起膠細胞)、ミクログリア(小膠細胞)、上衣細胞などで構成され、それぞれが役割を担っています。

グリア細胞の働き

  グリア細胞の中で一番多いのが、アストロサイト。血管壁から吸収した栄養分を神経細胞に供給したり、細胞外の余分なイオンを除去したりして神経細胞を保護する働きがあります。
  ミクログリアは、脳の中で傷ついた組織の周辺でよく見つけられるため、神経細胞の修復にかかわると長く考えられていました。しかし、それを実際に見た研究者はいませんでした。
  この謎が組織深部に透過する赤外線レーザーを使い、生きたマウスの脳を観察した実験で明らかになりました。まず正常な脳を観察すると、ミクログリアが1時間に1回程度、およそ5分間かけて、自らの突起を伸ばしてシナプス(神経細胞同士のつなぎ目)に触れている様子が確認できました。次に、脳の血流を止めた状態で観察すると、ミクログリアが1時間以上、シナプスを包み込むように触れている様子が確認できました。
  こうした活動により、ミクログリアはシナプスが正常に機能しているかどうかを検査・検診し、修復する働きがあると考えられています。

よくわかっていない麻酔薬の作用

  麻酔薬は脳のどこに作用して意識をなくしているのかが、まだよくわかっていません。動物実験や臨床実験などを繰り返し、安全性に問題がないから使っているだけで、詳しいしくみは不明です。「なぜ効くかはわからないけれど、いつもどおりこれを使っておこうか」という、よく考えたらとんでもないことが、病院で日常的に行われているわけです。
  私たちは研究の中で、たくさんの種類の薬剤を使います。薬剤は化学物質なので、化学構造式を見れば、薬剤の機能ごとに特徴的な化学構造を発見することができます。たとえば、花粉症などのアレルギーを緩和する薬剤として抗ヒスタミン剤があります。抗ヒスタミン剤にはいくつかの種類がありますが、化学構造式はどれもよく似ています。薬品の名前を見なくても、化学構造式を見れば抗ヒスタミン剤だとわかるものも少なくありません。
  一方、麻酔薬もさまざまなものが使われていますが、化学構造式に共通の構造がありません。このことからも麻酔薬の特殊性がわかります。

麻酔をかけても活動する神経細胞

  麻酔薬といえば、麻酔薬が作用しているのは神経細胞ではなく、グリア細胞のアストロサイトではないかと主張する研究者が現われました。多くの人が、麻酔薬が作用するのは神経細胞だと思い込んでいるかもしれませんが、実は麻酔薬を注入しても神経細胞は活動しています。麻酔薬で神経活動は止まらないのです。
  ところが驚くことに、グリア細胞の反応は麻酔をかけると止まってしまいます。麻酔薬に敏感なのは、神経細胞ではなく、グリア細胞なのです。こうしたことを根拠に、グリア細胞に意識があると考えている研究者もいるのです。

参考:「脳と心のしくみ」 池谷裕二(薬学博士)・監修

中野信子氏 著書「サイコパス」読者の興味深い反響を解説

2021-05-03 14:42:23 | 脳科学
サイコパスだけじゃない危険な脳の扱い方(最初の一部のみ抜粋)

  私(中野信子さん)にとって脳科学とは人間を観察し、深く知るための方法のひとつです。なかでも普通とは違った振る舞い、考え方をする人たちや、心の暗い側面には強い興味を持ってきました。そこに、きれいごとや理想とは異なる、人間の本質を見ることができるからです。
  昨年(2016年)書いた『サイコパス』(文春新書)も、そうした関心から生まれました。もともとサイコパスとは連続殺人犯などの反社会的な人格を説明するための概念ですが、脳科学の進歩により、恐怖や不安を感じにくい、他者への共感性が低い、自分の損得に関係ないことには無関心などの特質や、なぜそうした性格が発現するのかといったメカニズムが次第に明らかになってきています。この本では、こうした特質を持つ「サイコパシー傾向の高い人」を総じて「サイコパス」として、その謎に満ちた存在に迫ってみました。

 「みんなそうじゃないの?」

  『サイコパス』を世に出してから、読者から大きな反響が寄せられましたが、それは私にとって非常に興味深いものでした。
  まず、およそ九割を占めたのが、「自分の周りにもこういう人がいる。なぜあんな行動をとるのか、やっと納得がいきました」というものでした。「サイコパス」はアメリカでは人口の四%、日本でも百人に一人はいると言われています。大企業のCEOや弁護士、外科医など、大胆な決断をしなければならない人々に多いという研究結果もあります。かなり身近なところで、しかも周囲にすくなからぬ影響を及ぼす存在として、「サイコパス」と遭遇している可能性は高いといえます。
  次に多かったのは「これを読んで、自分のことを言われていると思った」というものです。百人中七、八人といったところでしょうか。彼らが特に強い反応を示したのが、以下のくだりでした。
――「サイコパス」は他者への共感性や思いやりが低いので、誰かが周りの人に優しくしているのを見ても、「損得の計算をしてやっているのだ」としか思えない。そして自分が排除されないように思いやりがある「ふり」をする。これは戦略的な行動なので、相手の求めているものを冷静に読み取って、より効果的な対応ができる。だから「サイコパス」には一見、とても優しかったり、過剰に魅力的に見える人がいる――
  こうした説明を読んで、彼らは「えっ、みんなそうじゃないの?」と驚いたというのです。つまり、みんなも「共感」や「思いやり」を演じている、と思っていたわけです。これは興味深い感想でした。
  三番目はごく少数ですが、「自分もサイコパスになりたい」という人がいました。これは、自分も恐怖を感じることなくルールを破りたい、他人を騙す側に回りたいというわけで、ある意味では「サイコパス」に魅了された人たちです。しかし、彼らの持つ「他人を支配したい」「人から凄いと言われたい」という欲求は社会性のあらわれであり、残念ながら(?)むしろ「サイコパス」からはほど遠いといえるでしょう。

参考;「文藝春秋SPECIAL」の記事