48. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 5ホ 孔子を排斥した毛沢東 」
終章
中華民族の正体 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
5イ 中国が覇権を握る日
5ロ 中国は国ではなく文明
5ハ 愛国教育は情報操作
5ニ 中華民族とは何か
5ホ 孔子を排斥した毛沢東
5ヘ 孔子学院プロジェクト
5 ト 中国崩壊の予言
5チ アメリカ人と中国人
5リ 中国はアメリカのフレネミー
5ヌ 中韓の捏造が信じられるわけ
5ル キリスト教圏とイスラム圏の距離
5ヲ イスラム版中華思想
5ヨ 儒教と対立する老荘思想
5タ 中国は民主主義国になるか
5レ 中国を模倣しなかった日本
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5ホ 孔子を排斥した毛沢東
今日の中国では、「中華文明の偉大なる復興」が、合言葉となっているが、先祖返りが、いっそう進むようになっている。伝統的な中華帝国に、戻ろうとしているのだ。
しかし、中華人民共和国を築いた、毛沢東は清朝までに至る、中華王朝の長い歴史を、封建制度のもとにあったとして、否定して、徹底的に排斥した。
過去は、誇るべきものでは、けっしてなかった。なかでも、孔子は、封建思想の権化である、極悪人だった。もし、毛沢東政権のもとで、孔子を公然と称えることがあったら、強制収容所に送られただろう。
毛沢東が、1973(昭和48)年から1974年にかけて、全国にわたって、「批林批孔」運動を展開したことは有名である。
「林」は林彪(りんぴょう)、「孔」は孔子である。中国全土で「批林批孔」のデモ隊が、孔子廟を襲撃して、狂ったように、孔子像を破壊した。
中国では、中国共産党が国家を私有しており、党が国より上にあるから、党規約が、憲法の上にある。
ところが、毛沢東は典型的な暴君として、猜疑心が強く、嫉妬深かったので、何人ものナンバー・ツウと、ナンバー・スリーを、「裏切り者」「反党分子」として、殺してきた。
林彪は、1971(昭和46)年に、毛沢東の殺害と、クーデターを企てたという、罪状を着せられたが、航空機でソ連へ逃亡をはかる途中、乗機とともに、モンゴル共和国に墜落して死んだと、発表された。
もちろん、真相はいまでも、謎に包まれている。
この時の発表によれば、林彪は蒋介石の「国民党のスパイ、帝国主義者の手先、反革命分子」だったというが、党規約が急いで書き改められたのは、いうまでもない。林彪は、信じ難いことだが、罪状によれば、毛沢東ではなく、「尊孔」=孔子を崇拝していた。当時の中国では、悪魔を信心していたようなことだった。
毛沢東は、「林彪も、(蒋介石の)国民党も、尊孔反法だった」と、演説している。
毛主席は、林彪批判と抱きあわせて、激しい孔子批判運動を、党組織、マスコミを動員して、全人民を巻き込んで、展開した。
ところが、このところ、中国では極悪人だったはずの孔子が、中華民族の大偉人として、再び称賛されるようになっている。
人民中国には、原則も、原理もないのだ。専制体制を守ることだけを、唯一の目的としている。
参考:加瀬英明著「中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか」
加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長