「易」と映画と「名文鑑賞」

タイトルの通りです。

錦織力尽きるッ・・・ザンネン。

2016年05月15日 07時23分05秒 | 日記
3時間を超える熱闘!!
錦織力尽きるッ・・・ザンネン。

3セット目の6ゲーム目、ジョコさん、ストリングスが切れているのにも気付かず。審判に指摘されて苦笑いしてラケットを替える。
会場の8割方は欧州人の味方のように感じられる。
是非もなし、やむを得ぬ仕儀でゴザル。

タイブレークでのダボ(ダブルフォールト)は自滅。
先にミニブレークしていたのに・・・

ジョコさんのパフォーマンスに客は大喜び。
錦織はといえば、淡々と、ただ淡々と。
どっちのスタイルが好きかといえば、やはり日本人なら後の方でしょ。
侍の矜持。

懐かしの「貸本屋」

2016年02月26日 06時48分01秒 | 日記
1位 望月三起也 「ケネディ騎士団(ナイツ)」「二世部隊物語」
2位 手塚治虫 「ジャングル大帝」「どろろ」
3位 白土三平 「カムイ外伝」(第一部)「ワタリ」
4位 石森章太郎(「石ノ森」ではない時代) 「サイボーグ009」「幻魔大戦」
5位 大島弓子 「綿の国星」「雨の音が聞こえる(ラ・レッセーイデン)」
6位 ちばてつや 「あしたのジョー」「みそっかす」
7位 皆川亮二 「ARMS」「スプリガン」
8位 萩尾望都 「ポーの一族」「11人いる!」
9位 浦沢直樹 「パイナップルアーミー」「MASTERキートン」
10位 さいとうたかお 「ゴルゴ13」
11位 かわぐちかいじ 「沈黙の艦隊」

まだまだたくさんあるけれど、きりがないので、この辺でやめます。
代表作に挙げた作品がひねくれているかも。

小学2年から鍵っ子の自分は、小学4年か5年頃から貸本屋「今井書店」へかよっていました。
雨の日も雪の日も、ほとんど毎日。
一泊二日1冊20円とか30円。
流石に高校へ行くようになると毎日は無理で週に一回とかになりましたが。
大学合格の一報も書店のオヤジさんが最初の報告先でした。
少女漫画も片っ端から借りて読んでいました。

膨大な時間を漫画とともに過ごしていたんだなぁと呆れるやら、なんやら、不思議な感慨をおぼえます。
人生で必要な事のほとんどは漫画に教えてもらったような・・・。
どこかできいたセリフが浮かんできます。

「賢者の贈り物」オー.ヘンリー 最終章

2015年12月13日 06時36分50秒 | 日記
「賢者の贈り物」オー.ヘンリー 最終章

東方の賢者は、ご存知のように、 賢い人たちでした ―― すばらしく賢い人たちだったんです ―― 飼葉桶の中にいる御子に贈り物を運んできたのです。 東方の賢者がクリスマスプレゼントを贈る、という習慣を考え出したのですね。 彼らは賢明な人たちでしたから、もちろん贈り物も賢明なものでした。 たぶん贈り物がだぶったりしたときには、別の品と交換をすることができる特典もあったでしょうね。 さて、わたくしはこれまで、つたないながらも、 アパートに住む二人の愚かな子供たちに起こった、平凡な物語をお話してまいりました。 二人は愚かなことに、家の最もすばらしい宝物を互いのために台無しにしてしまったのです。 しかしながら、今日の賢者たちへの最後の言葉として、こう言わせていただきましょう。 贈り物をするすべての人の中で、この二人が最も賢明だったのです。 贈り物をやりとりするすべての人の中で、 この二人のような人たちこそ、最も賢い人たちなのです。 世界中のどこであっても、このような人たちが最高の賢者なのです。 彼らこそ、本当の、東方の賢者なのです。

The magi, as you know, were wise men--wonderfully wise men--who brought gifts to the Babe in the manger. They invented the art of giving Christmas presents. Being wise, their gifts were no doubt wise ones, possibly bearing the privilege of exchange in case of duplication.
And here I have lamely related to you the uneventful chronicle of two foolish children in a flat who most unwisely sacrificed for each other the greatest treasures of their house.
But in a last word to the wise of these days let it be said that of all who give gifts these two were the wisest. O all who give and receive gifts, such as they are wisest. Everywhere they are wisest. They are the magi.
(引用終わり)
私の周りには、不本意な結婚生活を過ごしておいでの方、または、それを終わらせた方がたくさん居られます。
誰でも、不幸になるために結婚したのではないはずなので、結果としてそうなってしまったのでしょうが。
幸運なことに私は幸せな結婚を長きにわたって続けさせていただいています。妻もそう思ってくれていると勝手に思っています。

今から45年前の3月。高校の合格発表の日に初めて妻の姿を見つけました。綺麗な「大人びた」ひとだと漠然と思いました。
偶然にも同じ教室になりました。1年6組。
入学早々のある日の掃除当番の時に、机を動かした際に引出からノートが一冊こぼれだしました。
モップの水分をベタベタに含んだ木の床に落としたものだから、ノートは無残にもヨレヨレになりました。
こいつはまずいと、名前を見たら彼女の物でした。
まだ書き始めて少ししかたっていなかったので、書き写して渡すしかないなと思いました。
その字がまた綺麗でした。やわらかい大人の字。
その頃の自分の字はといえば、悪筆の代表でした。
今もあまり進歩はしていませんが。
それでも、申し訳なさが先に立ち、恥ずかしさを忘れて写して渡しました。
その時の相手の表情は完全に忘却の彼方ですが。

入学から3年後、大学入試の頃に市立図書館の学習室で初めて交際を申し込みました。もちろん「お断り」でした。
いわゆる不良連中との付き合いもあったので、けしかけられての行動でしたが、いい経験になったと思っています。不良友達に感謝しています。
それから2年後、二十歳の時に再挑戦。
以降は、週に一回は電話を掛け、月に2度は手紙を書いていました。
今と違って携帯もPCもない時代だったので、ひたすらアナログ。
富山と金沢。今でいう遠距離。
電話も黄色電話。赤電話では10円玉の落ちる音が気になって落ち着いて話せない。貧乏学生なので、週一回。
「三丁目の夕日」の時代とそんなに違わない風情。
この漫画もビックコミック掲載時に夫婦で読んでいました。

何をそんなに話す事や書く事があるのかと思いきや、あるのです。
日々の出来事を喋り、綴るのですから無限にあります。
中学以前の事も数限りなく話し、書きます。
そのうち、同じことを話している自分に気が付きますが、上手に省略しながら「落語」のような気分になってきます。

そうやって、今も毎日毎日、その日あった出来事を話しています。
家に帰り、妻との会話を楽しむ。これ以上の幸せはありません。
至福の時は目の前にある。
青い鳥を探しに行く必要はないのですね。

「賢者の贈り物」も高校時代に出会い、今も時々PCで音声を流しています。
She stood by the window and looked out dully at a gray cat walking a gray fence in a gray backyard. Tomorrow would be Christmas Day, and she had only $1.87 with which to buy Jim a present.

灰色が印象的で映像が浮かんできそうです。
今がどん底で、この後は灰色がだんだん明るい色になり、幸せな予感を感じさせる部分でもあります。

この物語と「クリスマスキャロル」が大好きです。

お祝いの言葉 「祖国とは国語」

2015年11月06日 03時10分14秒 | 日記
お祝いの言葉
この文章、日本語をキチンと学んでいないと少しく読み辛(づら)いかと思います。まずは、その点をお詫び申し上げます。

二次会のサプライズ企画なので書けと、お前の弟からのメールでしたので、止(や)むを得ず作文しています。

昔から子や弟子(でし)と言えば不肖(ふしょう)な存在と相場はきまっています。
お前も自分では自分の事をどのように評価しているかは知る由(よし)もありませんが、
私にとってお前は不肖(ふしょう)でしかありません。
それでも、その身体の頑健なこと及び英語の能力については、親を遥かに凌駕(りょうが)していることは明白です。
一つでも二つでも親を超えてくれたことについては、心から褒めてやりたいと思います。

最近、突然眠っていたフェイスブックアカウントに駄文(だぶん)をほぼ毎朝アップロードしています。
これは、お前とお前の弟に遺(のこ)す長い長い「最後の言葉」として綴(つづ)っています。
自分は親として「国語」又は「言葉」を教えてやれなかったことが、甚(はなは)だ心残りであります。
齢(よわい)六十に差し掛かろうとする今、せめて自分の言葉を子らに残しておこうと決心して朝の至福(しふく)の時間を使っています。
職業柄(しょくぎょうがら)多忙を極(きわ)める季節ですので、断続的にはなるでしょうが、なんとか続けられればと思っています。
これにより、少しでもお前とお前の弟が「言葉」を大切にして、「言葉」を磨(みが)き、
人様(ひとさま)に対して綺麗な日本語で相対(あいたい)すことができますようにと願っています。
母語(ぼご)である日本語が洗練されないならば、況(いわん)や英語をや、という事です。
「祖国とは国語」です。

私たち夫婦は、今を去ること三十四年前、故郷の富山を捨て、長男と跡(あと)取り娘の長女であるにも拘(かかわ)らず、
お互いの両親を捨てて名古屋に出稼(でかせ)ぎに来ました。
私たち夫婦が名古屋へきて三十四年後、お前も同じくアメリカへ行くこととなりました。
私は感謝の念に堪(た)えません。
安易な妥協をして帰国することなく、彼(か)の地にて妻の力を借り、
夫婦二人で大輪の花を咲かせてくれるよう衷心(ちゅうしん)より祈念(きねん)しております。


世界一貧乏な大統領の、突き刺さるスピーチ「今、人間が見直すべきこと」

2015年10月28日 15時09分27秒 | 日記
考えさせられる名演説です。

以下引用--------------------------------------------------------
(引用元 http://whats.be/2180)

世界一貧乏な大統領の、突き刺さるスピーチ「今、人間が見直すべきこと」
リオ会議(環境の未来を決める会議)でウルグアイ大統領のホセ・ムヒカ大統領のスピーチが考えさせる内容だ。ムヒカ大統領は自分の資産の80%を寄付し、郊外の質素な住宅に暮らしている。 給与の大部分を財団や政府などに寄付し月1000ドル強で生活するしているという。
2014.02.26

会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。
しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?
質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?
マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。
現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。
ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。
石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
昔の賢明な方々、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています
「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。
国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。
根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。
私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。
私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。
そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。
幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。
ありがとうございました。

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