「賢者の贈り物」オー.ヘンリー 最終章
東方の賢者は、ご存知のように、 賢い人たちでした ―― すばらしく賢い人たちだったんです ―― 飼葉桶の中にいる御子に贈り物を運んできたのです。 東方の賢者がクリスマスプレゼントを贈る、という習慣を考え出したのですね。 彼らは賢明な人たちでしたから、もちろん贈り物も賢明なものでした。 たぶん贈り物がだぶったりしたときには、別の品と交換をすることができる特典もあったでしょうね。 さて、わたくしはこれまで、つたないながらも、 アパートに住む二人の愚かな子供たちに起こった、平凡な物語をお話してまいりました。 二人は愚かなことに、家の最もすばらしい宝物を互いのために台無しにしてしまったのです。 しかしながら、今日の賢者たちへの最後の言葉として、こう言わせていただきましょう。 贈り物をするすべての人の中で、この二人が最も賢明だったのです。 贈り物をやりとりするすべての人の中で、 この二人のような人たちこそ、最も賢い人たちなのです。 世界中のどこであっても、このような人たちが最高の賢者なのです。 彼らこそ、本当の、東方の賢者なのです。
The magi, as you know, were wise men--wonderfully wise men--who brought gifts to the Babe in the manger. They invented the art of giving Christmas presents. Being wise, their gifts were no doubt wise ones, possibly bearing the privilege of exchange in case of duplication.
And here I have lamely related to you the uneventful chronicle of two foolish children in a flat who most unwisely sacrificed for each other the greatest treasures of their house.
But in a last word to the wise of these days let it be said that of all who give gifts these two were the wisest. O all who give and receive gifts, such as they are wisest. Everywhere they are wisest. They are the magi.
(引用終わり)
私の周りには、不本意な結婚生活を過ごしておいでの方、または、それを終わらせた方がたくさん居られます。
誰でも、不幸になるために結婚したのではないはずなので、結果としてそうなってしまったのでしょうが。
幸運なことに私は幸せな結婚を長きにわたって続けさせていただいています。妻もそう思ってくれていると勝手に思っています。
今から45年前の3月。高校の合格発表の日に初めて妻の姿を見つけました。綺麗な「大人びた」ひとだと漠然と思いました。
偶然にも同じ教室になりました。1年6組。
入学早々のある日の掃除当番の時に、机を動かした際に引出からノートが一冊こぼれだしました。
モップの水分をベタベタに含んだ木の床に落としたものだから、ノートは無残にもヨレヨレになりました。
こいつはまずいと、名前を見たら彼女の物でした。
まだ書き始めて少ししかたっていなかったので、書き写して渡すしかないなと思いました。
その字がまた綺麗でした。やわらかい大人の字。
その頃の自分の字はといえば、悪筆の代表でした。
今もあまり進歩はしていませんが。
それでも、申し訳なさが先に立ち、恥ずかしさを忘れて写して渡しました。
その時の相手の表情は完全に忘却の彼方ですが。
入学から3年後、大学入試の頃に市立図書館の学習室で初めて交際を申し込みました。もちろん「お断り」でした。
いわゆる不良連中との付き合いもあったので、けしかけられての行動でしたが、いい経験になったと思っています。不良友達に感謝しています。
それから2年後、二十歳の時に再挑戦。
以降は、週に一回は電話を掛け、月に2度は手紙を書いていました。
今と違って携帯もPCもない時代だったので、ひたすらアナログ。
富山と金沢。今でいう遠距離。
電話も黄色電話。赤電話では10円玉の落ちる音が気になって落ち着いて話せない。貧乏学生なので、週一回。
「三丁目の夕日」の時代とそんなに違わない風情。
この漫画もビックコミック掲載時に夫婦で読んでいました。
何をそんなに話す事や書く事があるのかと思いきや、あるのです。
日々の出来事を喋り、綴るのですから無限にあります。
中学以前の事も数限りなく話し、書きます。
そのうち、同じことを話している自分に気が付きますが、上手に省略しながら「落語」のような気分になってきます。
そうやって、今も毎日毎日、その日あった出来事を話しています。
家に帰り、妻との会話を楽しむ。これ以上の幸せはありません。
至福の時は目の前にある。
青い鳥を探しに行く必要はないのですね。
「賢者の贈り物」も高校時代に出会い、今も時々PCで音声を流しています。
She stood by the window and looked out dully at a gray cat walking a gray fence in a gray backyard. Tomorrow would be Christmas Day, and she had only $1.87 with which to buy Jim a present.
灰色が印象的で映像が浮かんできそうです。
今がどん底で、この後は灰色がだんだん明るい色になり、幸せな予感を感じさせる部分でもあります。
この物語と「クリスマスキャロル」が大好きです。