復 24-4 本田済著「易」
復の時は、陽気が甚だ微かであるから、何かをしようとするには不十分な環境である。故に吉とはいわない。道理としてこうしなければならぬ、というとき、吉凶は論外なのである。
※抄録者は、ダンジョンマスターというペンネームでアマゾンにレビューを書いています。その文章を転載しておきます。
以下転載文。--------
「易経」覚書
本田済「易」(朝日新聞出版)
文句なしの名著です。
特に最初にある「解説」が参考になりました。
長くなりますが、引用します。
以下、引用----------
宋の朱熹(朱子)はいう、「易はもともと卜筮のためにつくられたものである。後世の学者が、卜筮の説を鄙(いや)しいとし、言うに足らずとするのは誤りである」(『朱子語類』)
なぜ後世の学者が卜筮の説をいやしいとするのか。問題は占いというものと倫理の立場との矛盾にかかっている。倫理の立場からいえば、人間は良心の命ずるままに行動すべきであって、結果の損得は顧慮すべきでない。ところが占いというものは、結果を先に見せてくれる。結果を見て有利なように行動するのでは、倫理的に不純である。というのがおもな問題点らしい。朱子はこの点をどのように解決しているかというと、『朱子類語』に、次ぎのような意味をのべる。
「易は、人のために占って疑惑を断ち切るためのものである。道理としてこうすべきなら、当然そうすべきである。道理としてしてならぬなら、してはならぬ。そういう場合、改めて占う必要はない。正しいことで道が二つに分かれて迷うときにだけ占うのである。悪いこと、私欲のことについて占ってはいけない。」
引用終わり----------------