「易」と映画と「名文鑑賞」

タイトルの通りです。

山本夏彦 「教師ぎらい」 文春文庫「世は〆切」から

2016年01月13日 06時37分34秒 | 漢文漢籍名文鑑賞
山本夏彦 「教師ぎらい」 文春文庫「世は〆切」から

「教師ぎらい」

男女を問わず私たちは齢を取ると、人を教えたがる傾向がある。人の師表になろうとする。
(中略)
古人は自分のよく知らないことを自分は教えはしなかったかと、日に三たびわが身を反省すると言った。私が肝に銘じて忘れない金言である。こうして私が話していることは、みんなよく知らないことである。だからそれを書くときは薄氷を履む思いである。知っているつもりでも間違っていることがある。
(中略)
そもそも画家だの文士だのはアウトローである。無頼の徒である。悪いこともできるがしないでいる者だと言うが、なに体裁よく言っただけで、実は悪事を働いた者どもなのである。
それがただ齢をとったからといって、一段高いところから説教するなんて図々しい。そんなことは大会社の社長にまかせておくがいいのである。
(中略)
人生教師になるなかれと私はなん十年も繰返している。いかなる人もその資格がないのに人の師になる危険を内に蔵している。いや自分は無頼ではない、尋常の人だというのか。それはただ気がつかないだけである。あるいは忘れただけである。「人ノ患(ウレ)イハ好ミテ人ノ師トナルニアリ」と古人は言っている。(94・9)

(引用終わり)

あけましておめでとうございます。
暦どおり4日から働き、当たり前のように土日祝日もフルに机にかじりつき、あぁもう月半ばかと。

枕元の本の小山をみると、論語、孟子、老子、荘子、大学、中庸、列子、荀子、韓非子、孫子、易経、山本周五郎の小説、山本夏彦のエッセイ群がほとんどで、気が付いてみたら、同じ本ばかり何度も何度も読んでいます。

今年も、「引用だけが人生だ」と古人や今人の言葉を引用し続けようとおもいます。