中江兆民は第一流の文章家といっていいだろう。幸徳秋水はその高弟で共に土佐の人である。秋水は兆民の学僕となって兆民から学ぶことのすべてを学んだ。珍しく不肖でない弟子である。
兆民は明治のはじめパリで西園寺公望と友になった。明治14年兆民は西園寺の帰朝を待って「東洋自由新聞」を創刊した。すぐ自由民権の論陣を張ったからたちまち新聞は廃刊を命じられ、ために兆民の文名はにわかにあがった。
明治三十四年兆民の死後、秋水は兆民を偲んで一文を草した。兆民先生秋水に教えて曰く、日本の文字は漢字で日本の文学は漢文くずしだ。漢字を知らないで文を作れるか、いま外国語を反訳するもの適当の訳語なきに苦しみ、みだりに造語する、見るに堪えざるばかりか、読んで理解できない。これ実は適当な訳語がないのではない、ただ知らざるのみ。
また曰く、漢文の簡潔にして気力ある、その妙世界に冠絶す。泰西の文は丁寧反復毫髪を遺さざらんとす。冗漫に失して厭気を生じ易し。
(引用終わり)
山本夏彦→中江兆民→幸徳秋水
この人の文章は何が魅力的かといって、そのリズムが素晴らしい。
百聞は一見に如かず、十読は一写に如かず。(対句ではありません、語呂が良いので・・・)
十年ほど前、官を辞して生まれて初めて自らの力で金を稼がねばならないとなった時、
頭では理解していたものの何から手を付けていいやら呆然として無為に時を過ごしていました。
ベランダで日向ぼっこ。その頃に出会ったのが山本夏彦。
余りの面白さに夢中になり、ブ○ク○フでまとめ買い。
○○ゾンでもちろん中古を大人買い。
その膨大なエッセイ群を大量に買って片端から乱読。
ついには長編にまで手を出して・・・。全著作を読みつくしました。
読み始めた頃より数年前に鬼籍に入っておいででしたので、あの名調子の新刊がでることはありませんでした。
出会いのお蔭で、漢文漢籍文語文を読もうという気になりました。
大学・中庸・論語・孟子・荘子・老子・列子・孫子
(荀子・韓非子は積読中)
学生のみならず誰もが忌み嫌うネコマタギ文章が大好きになりました。
もともとガッコウ時代に習った漢文の中で、何故か
歸去來兮(かえりなんいざ)田園将に蕪(あ)れなんとす 胡(なん)ぞ帰らざる(帰去来の辞 陶淵明 長いながーーい漢詩の出だし)
の詩文が頭に残っています。
これもリズムが良いからなんでしょうね。
作者もまた宮仕えを辞めて故郷にかえって新しい人生を始めようとしている時の詩だと憶えています。
自分に重ねあわせるほどの感傷はありませんが。
山本夏彦翁のお蔭で、沢山の古人と知り合いになりました。
沢山の素晴らしい言葉に出会いました。
兆民は明治のはじめパリで西園寺公望と友になった。明治14年兆民は西園寺の帰朝を待って「東洋自由新聞」を創刊した。すぐ自由民権の論陣を張ったからたちまち新聞は廃刊を命じられ、ために兆民の文名はにわかにあがった。
明治三十四年兆民の死後、秋水は兆民を偲んで一文を草した。兆民先生秋水に教えて曰く、日本の文字は漢字で日本の文学は漢文くずしだ。漢字を知らないで文を作れるか、いま外国語を反訳するもの適当の訳語なきに苦しみ、みだりに造語する、見るに堪えざるばかりか、読んで理解できない。これ実は適当な訳語がないのではない、ただ知らざるのみ。
また曰く、漢文の簡潔にして気力ある、その妙世界に冠絶す。泰西の文は丁寧反復毫髪を遺さざらんとす。冗漫に失して厭気を生じ易し。
(引用終わり)
山本夏彦→中江兆民→幸徳秋水
この人の文章は何が魅力的かといって、そのリズムが素晴らしい。
百聞は一見に如かず、十読は一写に如かず。(対句ではありません、語呂が良いので・・・)
十年ほど前、官を辞して生まれて初めて自らの力で金を稼がねばならないとなった時、
頭では理解していたものの何から手を付けていいやら呆然として無為に時を過ごしていました。
ベランダで日向ぼっこ。その頃に出会ったのが山本夏彦。
余りの面白さに夢中になり、ブ○ク○フでまとめ買い。
○○ゾンでもちろん中古を大人買い。
その膨大なエッセイ群を大量に買って片端から乱読。
ついには長編にまで手を出して・・・。全著作を読みつくしました。
読み始めた頃より数年前に鬼籍に入っておいででしたので、あの名調子の新刊がでることはありませんでした。
出会いのお蔭で、漢文漢籍文語文を読もうという気になりました。
大学・中庸・論語・孟子・荘子・老子・列子・孫子
(荀子・韓非子は積読中)
学生のみならず誰もが忌み嫌うネコマタギ文章が大好きになりました。
もともとガッコウ時代に習った漢文の中で、何故か
歸去來兮(かえりなんいざ)田園将に蕪(あ)れなんとす 胡(なん)ぞ帰らざる(帰去来の辞 陶淵明 長いながーーい漢詩の出だし)
の詩文が頭に残っています。
これもリズムが良いからなんでしょうね。
作者もまた宮仕えを辞めて故郷にかえって新しい人生を始めようとしている時の詩だと憶えています。
自分に重ねあわせるほどの感傷はありませんが。
山本夏彦翁のお蔭で、沢山の古人と知り合いになりました。
沢山の素晴らしい言葉に出会いました。