長崎にも、先の8月9日、原爆投下の70年目の日がやってきた。
夫の母は長崎県平戸島の出身で、 当時たぶん10歳。
爆心地から遠い平戸でキノコ雲を見たと、以前聞いたことがある。
テレビのドキュメンタリーで、
トルーマン大統領のお孫さんが、謝罪までは行かないものの、今は被爆者の声を聞き、
このような悲劇を起こさないよう核廃絶を訴え、本も執筆をしている、そういう番組を観た。
実際に彼は3年前だったか広島を訪れたようで、
彼自身全く責任はないけれど、日本を訪問するその重責感はあまりあるものだったと思う。
記者には、「謝罪をしないのになぜ日本に来た?」と言われたそうだが、
被爆者は誰ひとりとして謝罪を求めなかったと言っていた。
それは彼が当事者ではなく罪もないと考える、被爆者の心からの敬意のあらわれで、
こういう地獄を見るのは私達で終わらせてほしいという、未来に向けての切実な願いと受け取れる。
一方、原子爆弾を開発した博士は、「間違ったことはしていない。正しいこと。謝らない。」との発言が過去あった。
『真珠湾攻撃でどれだけ被害を被ったか。友人も日本で戦死している。こちらも酷い目にあった。
広島長崎だけが酷い思いをしたのではない。』のだと。
それはそうだ。日本人も本当にひどいことをした。
日本人に家族を殺され、または負傷して、長年辛い目にあった方も多数いらっしゃる。
昨日テレビで観たけれど、フィリピンの方も日本兵に家族を殺され、いまだに深い傷がぬぐえないでいる。
戦争が終わってからも、勝った国負けた国の兵士らは、人を殺した殺された事実に苦しめられて生きてきたのだ。
だから、言ってみれば、その銃撃や原爆で、地獄の思いをしたのはどちらも同じということ。
そして、一瞬にして殺戮できる兵器を作ったことへの責任も重いものだと感じるべきだ。
戦争は、人を殺して万歳と喜ぶ、異常な意志が芽生えてしまう。
そして、それを身びいきな考えで善と置き換えてしまうことがある。
でも、よく考えてみると、いや、よく考えなくても、人を殺すって最低極まりないことなので、
それを行ったことに対する謝罪は、誰もがすべきことだと思う。
私はイヤなんだ。
現代でもいつの時代でも、人を傷つけても謝りたくなくてシラを切る人間がどれだけいることか。
そういう状況でも、傷つけた人とうまく付き合おうとする。本当に胸くそ悪いんだ。
悪いもんは悪いんだから、くだらない正当化はやめて、未来に向けて良い関係を築く行動を起こした方がいい。
それでも、原子爆弾を開発した研究者は、作っておきながら「今後、核はなくならない。」
と言い放った時は唖然としたけれど、
「祖父のトルーマンが今生きていたら、原爆を投下したことを後悔していると言うと思う。」
と身内のお孫さんから発せられたその言葉は、
未来への希望となるように、と願うばかり。
遅ればせながら、
長崎の原爆で亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。
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