投資家の目線

投資家の目線857(宗教と国際問題)

 インド政府が、マザー・テレサが設立したキリスト教宣教団体「神の愛の宣教者会」への外国からの寄付を禁止することを発表した。インド内務省の発表によると、『「神の愛の宣教者会」の申請を更新する際に、「敵意を持つ情報」を発見し、「外国人献金規制法」の資格要件を満たさなくなった』(「インド政府、マザー・テレサ設立団体への外国からの寄付を禁止」 2021/12/28 ダウ・ジョーンズ配信)という。それに対し、『この決定に先立ちキリスト教指導者らは、ヒンドゥー教徒が多数を占めるインドで、ナレンドラ・モディ首相のインド人民党(BJP)が政権を握り、同党にはヒンズー教至上主義が根底にあるため、敵対的な環境が増えていると訴えていた』(同)というキリスト教関係者の声も報じられている。ヒンズー至上主義のモディ政権下のインドでは、イスラム教徒だけでなくキリスト教徒も弾圧されている(「インドの巧妙なキリスト教弾圧」 ニューズウィーク日本版 2019/4/9 スリンダー・カウ・ラル、M・クラーク)ので驚きはない。ミャンマーを逃れたキリスト教徒が多くを占める避難民がインドに流入している(「ミャンマー避難民がインド流入 キリスト教徒ら3万人」 2021/12/2 日本経済新聞WEB版)。異教徒の避難民の流入で国内に混乱が起きることを警戒しているのではないだろうか。印僑の一部もヒンズー教が世俗主義勢力により危険にさらされていると信じて攻撃的なヒンズー至上主義を支持し、欧米受け入れ国などで分断や対立を生んでいると報じられており(「在外インド人、過激化防げ」 2020/6/21 日本経済新聞朝刊)、これではヒンズー至上主義のインドとキリスト教国の米・豪が同居する「クアッド」だと本当に機能するのか疑問である。

 イスラム圏では、イスラム教の影響が増している。トルコのエルドアン大統領は、インフレのなか金利を下げようとしている。「金利を否定するイスラム教の教えにも言及した」(『トルコ大統領「金利と闘う」 利下げ観測でリラ安加速』 2021/11/18 日本経済新聞WEB版)という。神を信仰しているのであれば、世の中が乱れているのは人間が神の教えに従って行動していないからだと考えるのはおかしくない。「元来イスラム法に基づいての土地所有制度では、個人所有が認められていなかったため、どのような者でも土地を耕すことができた」(「戦火の欧州・中東関係史 収奪と報復の200年」 福富満久著 東洋経済新聞社 p76)とされるが、距離を置きほとんど付き合いがないならともかく、土地の個人所有を認める人々と認めない人々が隣近所で生活すれば、トラブル続きになってしまうのではないだろうか? DPRKの土地改革について、「親日的な大地主ばかりか、勤勉と質素によって小・中規模の地主に成長していたプロテスタントたちをも一挙に打ちのめした。逆に打ちのめされたクリスチャンたちは、後に朝鮮戦争で米軍を十字軍と呼び、米軍の占領下で北の住民をサタンとして殺戮に及ぶ。民主改革は、一面ではそういう報復の悪循環を起動させたのである」(「新・韓国現代史」 ムン・ギョンス著 岩波新書 p46)と、土地の所有は財産問題と関係するため厄介だ。

 トニー・ブレア著「ブレア回顧録 下」(石塚雅彦訳 日本経済新聞出版社p28)で、パキスタンのムシャラフ大統領が、「一九七〇年代にジアウルハク将軍が、パキスタンのナショナリズムを敬虔なイスラム教と結びつけるという致命的な誤りを犯した。(中略)この二つの結合は、国内の過激主義を強め、カシミール問題を深刻化させ、インドとの和解をよりいっそう困難にした」と説明している。インドとの対抗上パキスタンは中国との関係解消は困難で、対中包囲などできはしないだろう。

 パトリック・J・ブキャナン著「超大国の自殺 アメリカは二〇二五年まで生き延びるか?」(河内隆弥訳 幻冬舎 p64)には、オバマ大統領について『かれはアメリカがキリスト教国であるという見方を拒否したのである、「わが国は、キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ人、ヒンズー教徒、そして無信心の国である」。はじめて、アメリカにおけるキリスト教の優位を否定した大統領となった。一八九二年、最高裁判所は、「ここはキリスト教国である」と宣言した』と、米国内部の宗教分裂を指摘している。一方、南部バプティストの人は、『アメリカのスローガンは「我らは神を信ずる」でしたが、今では神を信じない人々がいます。政教分離と言われますが、私は彼らが誤った解釈をしていると思います。先人たちは、国家があなたにどの教会に行くべきかと指示することはなく、あなたは自由に選べるという意味で使っていましたが、最近は多くの人が、キリスト教に関連する、あらゆるものを(公的な空間から)排除しようとしています。私たちがメリー・クリスマスと言うと、誰かの気分を害するかもしれないと考える社会になってしまった。アメリカは間違った方向に進んでいます」(「ルポ トランプ王国2-ラストベルト再訪」 金成隆一著 岩波新書 p229~230)と言っている。確かにクリスマスの日、米国の公共放送national public radioでは、「happy holiday」をあいさつに使っていた。

 今の米国は中華人民共和国の新疆のイスラム教徒やチベットの弾圧を非難しているが、『連邦政府は19世紀を通じて、先住民の文明化を推し進めるためにその宗教儀式を無くし、主流のキリスト教的価値観に同化させようと試みた。(中略)また1892年にはこれを強化するため、インディアン局長官T.J.モーガンが各保留地に「インディアン裁判所規則」を発令し、違反者に対しては食料配給停止や投獄の刑を課した。とくに当時、反乱が警戒されていた平原インディアンのサンダンスやゴーストダンス、ぺヨーテ信仰は取り締まりの対象となった』(Prucca 1990:160-61, 187-88; Irwin 2000: 295-316)。」(「アメリカ先住民と信教の自由―ローカルな聖性をめぐって―」内田綾子 『国際開発研究フォーラム』29(2005. 3))と、かつて米国は政府を挙げて原住民の信仰を弾圧していた。一方20世紀初頭、カムのチベット人はフランス人宣教師があまりに親中国的であるとして一斉に追い詰め、彼ら神父は追放され、殺されたことがある(「チベット史」 ロラン・デエ著 今枝由郎訳 春秋社)。キリスト教徒はチベット人を信用するのだろうか?

 キリスト教内でも対立はある。「ジョージ・F・ケナン回顧録Ⅲ」(清水俊雄・奥畑稔訳 中公文庫 p435~436)には、「クロアチア系のものは出身国のユーゴスラビアでセルビア人と長年にわたる反目をつづけており、現在のユーゴスラビア政府に頑強に反対していた。彼らは、この政府が(第二次大戦以前の政府と同様)、異教徒のセルビア人の主導下におかれているものと見ており、この激しい、流血を伴う、長年の信仰上の対立をアメリカの政治の中にためらいなく持ち込み、議会の議員もこうした対立のあおりを受けざるをえなかった」と、カトリックと正教徒の対立に言及している。「プロテスタントが主流を占めるアメリカで、アイルランド系その他のカトリック教徒は、偏見の対象となった。1960年になっても、一部のアメリカ民は、カトリックの大統領候補ジョン・F・ケネディが当選したら、ローマ法王の言いなりになる、としてケネディ候補に反対した。」(『アメリカ合衆国のポートレート 第8章「政教分離」』 AMERICAN CENTER JAPAN HP)と、プロテスタントとカトリックの間にも対立があった。かつての日本でも、越中から北関東や東北の農村へ移住した農民について、「越中からの移民は勤勉に働き、農業経営を発展させた。しかし、越後出身者とは違い、加賀藩領からの移民は信仰の違いにこだわり、婚姻関係はもちろんのこと、祭礼その他で地元農民との交わりをあまりもたなかった。このため彼らは、地元農民から新百姓として差別を受けることになった」(「富山県の歴史」(深井甚三、本郷真紹、久保尚文、市川文彦 山川出版社 p206~207)と、宗派間での対立があった。

 外交官だった来栖三郎は、著書「泡沫の三十五年 日米交渉秘史」(中公文庫 p249)で「われわれは西洋の民主主義とキリスト教の人道主義とが、切っても切れぬ連繋をもっていることをとうてい否定することは出来ないのである」と書いている。「ジョージ・ケナン回顧録Ⅱ」(清水俊雄・奥畑稔訳 中公文庫 p226)にはマッカーサーについて、「日本人にデモクラシーとキリスト教精神を教えるのが彼の意図であった」と書かれている。「敗北しつつある大日本帝国 - 敗戦7カ月前の英国王立研究所報告-」(刀水書房 坂井建朗訳 p224)には、「キリスト教を理解すれば、日本人はその道徳心を発達されるに相違ない」と述べられており、キリスト教精神の普及は西洋社会の人々が日本人の道徳心を向上させる意図があったものと思われる。しかし、自民党が西欧の天賦人権説を外す改憲草案(「片山さつき氏 憲法の天賦人権説由来の規定改める必要指摘」 2013/1/19 NEWSポストセブン)など、その試みは失敗している。外国人神父が重要参考人だった英国海外航空スチュワーデス殺人事件の影響もあるのかもしれないが、デモクラシーやキリスト教精神より反共を優先したG2主導のGHQの政策の影響もあるのではないだろうか?

 「グロムイコ回想録 ソ連外交秘史」(アンドレイ・グロムイコ著 読売新聞社外報部訳 読売新聞社 p200~201)には国際連合憲章について、南アフリカ連邦代表団長のスマッツ元帥が「憲章の草案が、神について一言も触れていない事実に落胆します」と語り、「彼は国際連盟が失敗に終わったのは、諸国家が神の意志に従わなかったからだ、という自説を明確に述べた」ことが書かれている。それに対してグロムイコは、「国際連合は、異なる宗教やイデオロギーを持つ多様な国々で構成されることになります。」、「完全にこの世における目的のために設立される機構の憲章なのに、どうして神のことに触れられますか。国連憲章は、すべての加盟国を国家間の平和を保証する方向へと導くものでなければなりません。これはたとえ社会構造やイデオロギーは違っても、すべての国にとって出発点とならなければなりません」と答えている。スマッツの言う「神」は、キリスト教の考え方に基づく神であろう。日本はキリスト教国ではないので、グロムイコの意見に賛成せざるを得ないだろう。ちなみに「一九一七年二月のツァーの没落後の居住地廃止に伴ってユダヤ人の隔離も終わり、彼らは完全な市民になった」(同 p12)という。ロシア皇帝の権威は正教の守護者という立場からきているので、正教徒と異教徒を同じに扱うことはできなかっただろう。

 「容赦なき戦争 太平洋戦争における人種差別」(平凡社 ジョン・W・ダワー 猿谷要監修、斎藤元一訳 p350)に、『つまり西洋における人種主義は、他の人々を侮辱することに際立った特徴があったのに対し、日本人は、もっぱら自分自身を高めることに心を奪われていたのである。日本人は、他民族をみくびり、軽蔑的ステレオタイプを押しつけることにかけて下手ではなかったが、「日本人」であるということが真に何を意味するのか、いかに「大和民族」が世界の諸民族と諸文化の中でユニークであるが、このユニークさがなぜ彼らを優秀にしたか、といった問題と取り組むことにより多くの時間を費やした』と書かれている。生長の家の創始者谷口雅春の著書「古事記と日本国の世界的使命 蘇る『生命の實相』神道篇」(光明思想社)には「夫唱婦和は日本が第一」、「無限創造は日本が第一」、「一瞬に久遠を生きる金剛不壊の生活は日本が第一」、「無限包容の生活も日本が第一」、「七徳具足の至美至妙生活は日本が第一」と、自分自身を高く評価する表現がちりばめられている。「日本スゴイ」論は当時からあったが、外国には全く相手にされていなかった。今の日本で「日本スゴイ」論を展開しても、国際関係が改善するどころか、当時の日本のように悪化するだけだろう。

追記:
2022/1/16
「米国の生活に溶け込もうとしていた多くのユダヤ系移民と同様、彼女もジョナスも伝統的な宗教上のしきたりはあまり実践しておらず、ディロンの小さなシナゴーグの集まりに時折出席する程度だった」(「危機と決断 前FRB議長 ベン・バーナンキ回顧録 上」 ベン・バーナンキ著 小此木潔訳 角川書店 p23)。この例を見ると、特定の宗教の信徒が多数を占める地で異教徒が生活するには、あまり目立たず、社会の片隅でひっそりと信仰を守っていく必要がありそうだ。

2022/1/30
「フランスの宣教師たちが、中東で最初に掲げた目標が原始キリスト教徒をカトリック教徒に改宗させることであった。他方、イスラーム教徒については改宗する見込むは低いとして、布教目標から除外された。」(「戦火の欧州・中東関係史 収奪と報復の200年」 福富満久著 東洋経済新聞社 p58)とあり、これもキリスト教内での勢力争いと言えるだろう。

2022/1/31
「文明の衝突」(サミュエル・ハンチントン著 鈴木主税訳 集英社):『人口構成の変化の結果、一九八〇年代末になるとアルバニア人はコソボをユーゴスラヴィアの他の共和国と同じ共和国の地位に格上げすることを要求した。セルビアとユーゴスラヴィアの政府は、これを認めなかった。離脱する権利を得ればコソボは離脱するだろうし、おそらくアルバニアに併合されるのではないかと恐れたのだ。一九八一年三月、共和国になりたいという要求を支持して、アルバニア人の抗議の暴動を起こした。セルビア人によれば、そのあとセルビア人に対する差別、迫害、暴力などが増えたという。クロアチアのあるプロテスタント教徒によれば、「コソボでは一九七〇年代末から…無数の暴力行為が起こり、建物の破壊、解雇、嫌がらせ、レイプ、喧嘩、殺人などが横行した」。その結果「セルビア人は、彼らの脅威は大量虐殺に近いもので、これ以上我慢できない」と主張した。』(p.396)、「歴史的に、ボスニアでは共同体としてアイデンティティは強くなく、セルビア人、クロアチア人、イスラム教徒が隣人として平和に生活していた。三者のあいだの結婚も数多くあり、宗教的な自意識は薄かった。イスラム教徒はモスクに行かないボスニア人で、クロアチア人は大聖堂に行かないボスニア人で、セルビア人は正教教会に行かないボスニア人だと言われた。しかし、ユーゴスラヴィアという広いアイデンティティが崩壊すると、これらのあいまいな宗教上のアイデンティティが意味をもつようになり、いったん戦闘が起こるとそれが強くなった。」(p.409)という記述がある。

2022/2/20追記:
トニー・ブレア著「ブレア回顧録 上」(石塚雅彦訳 日本経済新聞出版社p264~265)には、父親がアイルランドのプロテスタント教徒の結社、オレンジ党の一支部長で、アルツハイマー病に侵されていた彼の母方の祖母の話が書かれている。『宗派主義の永続的性格の驚くべき一例は、私の母方の祖母に見ることができた。祖母は親しみやすい女性だったが、かなりの程度、祖母の時代と部族の産物だった。当時は不幸なことに偏狭な行為が当たり前のこととして受け入れられていた。(中略)私が祖母の手をたたくと、祖母は突然私の手をつかみ、目を大きく開いて言った。「息子や、何をしてもいいけどカトリック教徒とだけは結婚しちゃだめだよ」。すべてのことが祖母の頭から消え去っていたのに、宗教的な嫌悪の残滓だけはその底に残っていたのだ』と記述されている。

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