イスラエルのネタニヤフ政権の一部閣僚がパレスティナ人にガザ地区からの移住を求めている(「イスラエル極右閣僚、パレスチナ人にガザからの移住要求」 2024/1/10 ダウ・ジョーンズ配信)。ゲルマンの民族大移動はアジア系のフン族の侵入が原因だったとする説がある。ある民族が大量に流入してくると玉突き式に今までその土地で暮らしてきた民族が他所へ移動することは歴史的には存在する。第二次世界大戦後、カーゾン線の東側にいたポーランド人を旧ドイツ領などに移動させた。大戦中ウクライナではウクライナ人がポーランド人などに対して虐殺を行ったので、混住させたままでは大規模な報復行動が発生したおそれがある。
現在、ガザ地区では多くの犠牲者が出ている。しかし、「人口減少は問題ではないという見方もある。地球上の人口は多すぎるため、総人口が減るのは地球にとって良いことだという」(「[FT]少子化対策、親の支援を」 2023/12/25 日本経済新聞)という考え方の勢力にとっては、多くの犠牲も地球にとって良いことだと考えていることだろう。
「西アジア史 Ⅰ アラブ 新版世界各国史8」(佐藤次高編 山川出版社)によれば、ユダヤ人のパレスティナ入植は、すでに一八四〇年代にみられたが、農業入植活動を伴うユダヤ人移民の波(アリヤーと呼ばれる)が本格化するのは八〇年代以降である(p469)。その後、ドレフェス事件(一八九四年、軍法会議で有罪となるが一九〇六年に無罪)にショックを受けたテオドール・ヘルツェルが、ユダヤ人安住の地を求める世界ツィオニスト会議を開催することとなる。パレスティナ人とユダヤ人に対する英国の委任統治義務に同じ重みをもたせる「パスフィールド白書」が撤回されると、ユダヤ人の年間の移住者数は、一九三一年の四〇〇〇人から三五年の六万人に急増した(第五次アリヤー(三二~三六年。二十万人))。その結果、ユダヤ人の人口比は一六%から二八%へと上昇し、貧窮に苦しむアラブ社会に不満が高まった。この時期、パレスティナにはアラブ主義を掲げるイスティクラール(独立)党(三二年設立)をはじめ急進的な政治勢力が台頭した(同書p474)。なお、第一次アリヤー(一八八二~一九〇四年)移住者数二万五〇〇〇人、第二次アリヤー(一九〇四~一四年)同三万五〇〇〇人、第三次アリヤー(一九~二三年)同三万五〇〇〇人、第四次アリヤー(二四~三一年)同八万五〇〇〇人と移住者は増加しているが、三一年センサスの人口比は八四%対一六%とされている(同書p469~474)。
一九〇三年八月二十三~二十八日、バーゼルで開催された第六回ツィオニスト会議では、『イギリスの保守党内閣の植民地相ジョーゼフ・チェンバレン(一八三六~一九一四)が提案した中部アフリカの東、イギリスの保護領ウガンダ高地案が投票にかけられ、賛成二百九十五、反対百七十八、棄権九十八となって可決された。(中略)ロシア出身の代表団は会議の直後会場から退出した。幾つかの代表団もそれに続いた。かれらはツィオニズム活動の唯一の拠点としてパレスティナに固執し、パレスティナとその隣接地以外へのどんな入植をも拒否した。ヘルツェルは即刻退出者たちと非公式に折衝を重ね、最終ゴールはパレスティナであると約束せざるを得なかった』(「物語 イスラエルの歴史 アブラハムから中東戦争まで」 高橋正男著 中公新書p251~252)。それ以前にもヘルツェルは民族郷土の地としてアルゼンチンも挙げていた(同書p249)。パレスティナ紛争の起源を、第一次世界大戦時のイギリスの都合によるバルフォア宣言(一九一七年十一月)に求めるものも多いが、パレスティナの地に固執したツィオニスト側の政治的事情の方が大きいだろう。
また、一九四八年四月八日、反英民族武装地下組織イルグンと同派から分派した最強硬派レヒ(自由イスラエルの戦士)の連合部隊がイェルサレム西方のイラク兵とパレスティナ非正規兵とが駐留していたアラブ人村デイル・ヤスィンを攻撃、一般村民を多数殺害(生存者の証言によれば百十六名)し、ユダヤ側指導部は非戦闘員多数が犠牲になったことに対し謝罪した。一方、アラブ側もユダヤ人医師団(四月十四日、七十七名)、ユダヤ人村エティオンブロック(五月十三日、村民二百八十名中生存者四名)といった虐殺事件を起こしている(「物語 イスラエルの歴史」p309~310)。
ユダヤ人には、世界中で活躍している人が多い。かつて、ポルトガルにおいてユダヤ人は商業、芸術、医学などの分野で卓越していたが、カスティヤ王女との結婚のため、一四九六年にユダヤ教徒やイスラム教徒に国外退去や強制改宗を命じ、この圧迫されたポルトガルのユダヤ系市民の多くは、オランダのアムステルダムとブラジルに脱出した。また一五三五年、ポルトガルがブラジルに送り込んだ隠れユダヤ教徒らはアムステルダムの親戚、友人と連絡を保ち、砂糖の生産ばかりでなく、輸出販売を行うことができた(「ラテン・アメリカ史 Ⅱ 南アメリカ 新版世界各国史26」 増田義郎編 山川出版社p141)。あるいは、「外国語に堪能で、もともと地中海地域に商業ネットワークをもっていたギリシア人、アルメニア人、ユダヤ人などの非ムスリム商人は、通訳の名目で外国領事館の庇護を受けるなどの手段によって、ムスリム商人層に比べて有利な立場に立つことができた」(「西アジア史 Ⅱ イラン・トルコ 新版世界各国史9」 永田雄三編 山川出版社p295~296)。このようにユダヤ人は世界中に離散し、そのネットワークを通じて富を得ることができたが、一か所の地に集まればそのメリットは発揮できなくなるだろう。
岩上安身著「あらかじめ裏切られた革命」(1996年 講談社)には、『ポスト共産主義のロシアにおける「法秩序の確立」とは、先に富と権力を奪うことに成功した者が、その傷跡を隠蔽し、あとから遅れて来て奪おうとする者をとりすました顔で裁くこと、そしてそれを正当化する欺瞞的な名目と機制を打ち立てるだけのことになるだろう』(p105)(投資家の目線451(あらかじめ裏切られた革命))と書かれている。パレスティナ紛争は宗教間の戦いという面がある。しかし、神の言葉のような絶対的な人間の道徳基準がなければ、権力者が自分に都合のいいルールを作るだけになり、「勝てば官軍」、「長い物には巻かれろ」の世界になるだろう。