「清原和博」考察

2009年08月09日 17時34分46秒 | Weblog
今日は清原和博という男を考察したいと思います。

清原(と呼び捨てでいいのかわからないがそれで通します)は
桑田真澄とともにKKコンビと呼ばれ,PL学園の選手として,
1980年代に高校野球で大活躍した。

私は同い年なので,ドンピシャ世代。
友人の中にも,清原ファンは結構いたように思う。
高校の友人のマツにいたっては,「追っかけ」と言ってもいいほどの
熱の入れようで,あちこちへ試合を観にいっていたように記憶している。
で,数多いファンの女の子の中でもよく覚えられていたか,
なんかそんな感じだったと思うのだが,ある日,

「マツって,清原くんから電話かかってきたらしいで!!」

と,もっぱらの評判になったことがあった。

詳細はよく覚えてないが,高3の時かな?清原が怪我をしたかなんかで,
お見舞いの手紙を書いたかなんか(ほんまにあやふやでスンマセン)で,
なんと,本人から直々に

「いつも,応援してくれてありがとう」

と,言ってきた,というのだ。
しかし私は実を言うと内心では

「んなアホなことあるかいな。」

と思っていた。きっと,友人の誰かが「どっきり」を
仕掛けているのだろう,と思ったが,
マツのあまりの狂喜乱舞ぶりに,そんなことを口が裂けても言えなかった。
真相は未だ闇の中である。

そうは言うものの,私もそんなに清原のことが嫌いではなかった。
野球そのものが大好きだし,同い年,となると,
やはり応援してしまう。

プロ野球に入団してからも,清原の活躍は凄かった。
本当は巨人に入りたかったのに,盟友桑田の方が指名されてしまった,
ということで,テレビカメラの前で涙を見せたことも,
必要以上に彼の贔屓を増やす一因となったことは否めない。
そして彼は人気,実力ともに,押しも押されもせぬスーパースターへと成長していった。

それが,どこから路線が変わって行ってしまったのだろう?
少なくとも,西武時代の初期は爽やかな好青年のイメージだったように思う。
しかし,FAで巨人へ移籍して,出場機会が減ったり,思うように活躍できなかったり
などと苦しい時代が続き,本当か嘘かしらないが,素行の悪さがメディアで
取り沙汰されたり,と,段々「ダーティ」な側面が出てきた。
その頃から「番長」などと呼ばれるようになったのではなかっただろうか?

両耳にピアスの穴を開けてきたこともあった。
まぁ,それは別にいいが,着けていたピアスが恐ろしくでっかいダイアモンドで,
品のないことこの上なかった。

しかし,そんな彼も,またもや最近イメージが変わってきたように感じる。
発言にもどことなく「天然」の片鱗がうかがえ,思わず笑ってしまう時もある。

3月のWBCで清原が「スペシャルナビゲーター」を務めていたが,
そのときにも,何の話からそうなったのかは忘れたけれど,
大真面目に
「金属バットと木製のバットでは全然違いますからねぇ。」
と言ってて,それを聞いたダンナが
「んなもん,ワシでも言えるがな。」
と言い,ちょっと笑えた。

でも,野球に詳しい後輩のアヤさんが後で教えてくれたが
WBCの時の解説が大変評判が良かったらしいのだ。
なんでも,マイナスなことや,ネガティブなことを決して言わない,
というのが好印象だったらしい。

たしかに,そうだった。
チャンスで失敗した選手がいても,その選手の普段のいいところを挙げたり,
誰がどう見ても「劣勢」というときでも,決して後ろ向きな発言をせずに
盛り上げたり,という内容だった。

そのようなところが買われてか,今年の夏の高校野球の開会式のテレビ中継でも
清原はスペシャルゲストとして出ていた。
その顔はなんだか,本当に嬉しそうで,きっと自分が高校球児だったころを
懐かしく思い出し,少年の気持ちにでも戻っているような,可愛らしさすら
感じさせるような笑顔だった。

それに,最近の彼は,以前の丸坊主をやめ,少し髪を伸ばしている。
そのせいか,ますます柔和な感じになっている。
丸坊主にでっかいダイヤのピアスの時なんか,どう見ても「その筋」の人だったもんなー。

出演しているコマーシャルも好感が持てるではないか。
サッポロドラフトワンのCMで,
多部未華子に頬っぺたの傷を消毒してもらいながら,
「でも手を出さなかったんだね。よく我慢したね。」
と言葉をかけられる,というシーンがある。
誰と喧嘩したのか,と思いきや,相手は猫だった・・・,というオチ。
なんとも微笑ましい。

・・・と,私の中で清原の評価がまた上がっていたこの頃だったのだが,
先日,仕事から帰ったダンナがテレビで清原を見て思いだしたように
話し出した。

ダンナは昼食の時によく行くカレー屋があるのだが,
そこにおいてある週刊誌を暇つぶしに時々見るらしく,
その情報をまるで自分が見てきたことかのように話す。(それもどうかっちゅう感じだが。)
最近見た記事の中に,清原の子どもが某有名幼稚園に入るために,
自分のイメージをよいものに変えようといろいろ努力している,
というものが載っていたらしいのだ!

同い年の一人として,勝手にずっとウォッチングしては一喜一憂し,
また最近の柔和な清原も悪くないもんだ,と思っていた私は,
なんだか,少しだけ裏切られたような気持になったのだが,
そう思うことって,理不尽でしょうかね?

コメント (3)
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