40年来、年賀状をやりとりだけのKさん。
今年も、届いた賀状。矢張り、嬉しい。
しかし、ご主人が脳梗塞で倒れられリハビリ中とあった。
お互い老老介護の年齢に突入したのだ。
kさんとは電話でお話ししたことはあるが、お目にかかったことはない。
茨城にお住まいで、地元で不登校児のために奔走していらっしゃる。
その様子を送ってくださった新聞記事で知った。
その時、初めて新聞でお顔を拝見したのだ。
私と同じ年齢だが、ばりばり行動している肝っ玉母さんという印象を受けた。
東日本大震災の時、茨城のKさんが気がかりでお電話をしたら元気なお声が返ってきた。
ご自宅も無事だったようで安堵した。
彼女との出会いと言うか、知り合ったきっかけは朝日新聞の「ひととき」欄である。
子育て時代、知人に投稿夫人とあだ名されるほど、あちこちに投稿していた。
大概は採用されて、読みましたよ、と、知り合いから電話がかかってきたりした。
当時は今ほどプライバシーが厳しくなく、投稿先も簡単に住所を教えていたようだ。
1974年6月、朝日新聞「ひととき」に掲載された記事を読んでくださったKさんから
突然、電話がかかってきた。
年齢と名前が一緒 (読み方は異なるが) ということで親近感を覚えられたようだった。
記事も、子供の話で楽しい記事ですと言ってくださった。
暫く文通が続いたが、それぞれ、忙しくなり、年賀状だけになってしまった。
身体が動くうち、一度お目もじしてゆっくりお話しをしたいものだ。
41年振りに、知り合った頃の若かった写真を持参して会うのもいい。
人生はドラマチックなのだ。
中々咲かない樹下の水仙