食感のある食材料理が好きであったが
もう完全に食べる事を諦めてしまった
老朽化した歯の
怒涛の治療がスタートし 辛い日々
料理を作っても味見すらもどかしく
味見をしなくなってしまった
半世紀家庭料理を作り続けているから
適当でもそれなりに美味しい料理は作れていると自負していたが
「甘い薄い固い」と 父ちゃんの奴ブー垂れる
夕食は殆ど食べない私が
残ってはもったいないと結局食べる羽目になる
美味しいと思うけれどな
私の味覚にも老化による変化が出てきているのかな
母は料理の天才であったと今でも思っている
そんな母の料理も 70代半ばごろから
普通の「味」になっていった
普通とは私レベルだけれど
私の作った料理の方が美味いと思う事も度々あった
母は84歳で旅立ったが
その人生の最後まで家族の為に料理を作り続けた
「美味しい料理」は
人の人生を豊かなものにし幸せにしてくれる
料理を作る人の思いに感謝
料理を食べる事ができる健康に感謝
>老朽化した歯の
怒涛の治療がスタートし 辛い日々・・・
これも年寄り病の一つ、頑張って治療をして下さい
誰でも治療をしています
ふきさんだけ抜擢されて、治療する様になったのではありません
健康維持は歯も大切ですね
>「甘い薄い固い」と 父ちゃんの奴ブー垂れる・・・
そうですか、せっかくおふくろの味で作った料理
色々言われると面白くありません
言う方は、ふきさんに甘えているのでしょう?、そう思って次に進みましょう
>「美味しい料理」は
人の人生を豊かなものにし幸せにしてくれる・・・
さすがですね~良い事言われます
食事は健康を維持し、人生を豊かにします 感謝です
私は糖尿で食事は制限されていますが、それなりに食事を楽しんで居ます
私も治療はしていますが、弱くなって来ました
半世紀以上も作ってきたのですから…
人様の作ってくれたものを食べたい
1人暮しだったら
料理を作る事はなくなると思います
母は材料から何から何まで
一から手作りでした
こだわりがあったのでしょう
野菜嫌いな当時まだ幼かった子供達が
母が作った野菜が美味しいと
畑でむしゃぶりついた光景が忘れられません
それも70代になり 手作りから
市販の物に変わりました
当然体力が続かなかったからです
「食」に関しては
母の全盛期を超える事はできません
そんな出会いがあった事に
感動と感謝しかないです
>正直言って家庭料理を作る事は卒業したいです・・・
我が家もその傾向です
幸いに昔と比べると、自給自足の原則が崩れて来ている現代
出来合い販売も多くなりました
我が家は、昼は弁当、惣菜、パンなどその時の気分で食べれる様にしています
今のところ夕食だけ家庭料理を食べています
昔からすると半分以上手抜きになりました
今後の事も考えて居ます
嫁さんが作りたくないとなると、全食出来合いになるでしょう
弁当の宅配の新聞広告が目に入る様になりました(笑)
>母の全盛期を超える事はできません・・・
そんな出会いがあった、ふきさんは幸せ者と思います
感謝の気持ちを何時までも忘れずにですね~、良い人生ですね。
学校の給食が食べれずたいへんな思いをしました
上京して47年経ちますが
最初の3年ほどは 全ての食材そのものが不味く 口にする事ができませんでした
物心ついたころから
母の朝げの支度を見て育ちました
母の所作は生きる芸術と言っても過言ではありません
但し食に関する事だけですが
母は料理を作る事が好きだったのでしょうか
直接聞いたこともありません
表情は 修行僧のように静かで 少しの苦渋が潜んでいたように思います