高崎のビエントアーツギャラリーへ古賀充さんの個展を観に行ってきました。
会場に入った途端目に飛び込んできたのがこちら。
何やらメモとか文献の切り抜きとかいろいろ貼り付けてあります。
そしてサイドには鉛筆で精巧に描かれた作品。
どうやら作品を制作するまでの「思考」がここに表現されているようです。
面白い試みですね。
鉛筆で描かれた作品には《空間構築》というタイトルがつけられているのですが、人間が何をどこまで知覚できるのかを検証して描かれているのではないかと感じました。
《空間構築ー白電話ー》
とても精巧に描かれた鉛筆画なのですが、実物をそのまま描いているわけではなさそうです。
よく見ると数字が描かれているところと描かれていないところがある。
私たちが「これは電話だ」と知覚するとき、ダイヤルは1から0まであるものだと思って1から0まで全ての数字をいちいち確認しないですよね。
内側にも本当は1から0までの数字が書いてあるはずなのですが、私たちはいちいちそれを知覚しない。
だからあえて描かなかったのではないかと。
《空間構築ー黒電話ー》
こちらの電話はさらに描かれていない数字が多い。
黒という色からより一層数字が知覚されにくいってことなのかな。
これらの電話は実際の電話というよりも記憶の中の電話なのかなと思いました。
記憶の中の電話のある空間。
何だか妙に突き刺さるのは実際の電話を真似て描いたのではなく、古賀さんが記憶から知覚した電話だからなのでしょうか。
《空間構築ー羊ー》
この作品の羊も顔から前足にかけては精巧に描かれているのに、後ろ足は輪郭だけ。
「羊って顔を見たらそれと同時に後ろ足まで見てないでしょ。」
と言われているような気がしました。
一度に知覚できるのはこの辺までかなっところまで描かれている気がするんですよ。
実際のところは分からないですが。
《空間構築ー電圧計ー》
《空間構築ータコメーター》
電圧計やタコメーターをこのように描き込んでしまうところも何だか人間性を感じます。
この二つの作品、観れば観るほどしびれますよ。
《空間構築ー廃墟ー》
どこの廃墟ってことまでは書いてありませんでした。
実際にどこかにある場所なのでしょうか。
何だか幾何学模様でも描いたかのような観覧車と鉄塔がたまらないんですよね。
かなり好きな空間になっていて、しばらく浸ってしまいました。
また観に行きたいです。
会場に入った途端目に飛び込んできたのがこちら。
何やらメモとか文献の切り抜きとかいろいろ貼り付けてあります。
そしてサイドには鉛筆で精巧に描かれた作品。
どうやら作品を制作するまでの「思考」がここに表現されているようです。
面白い試みですね。
鉛筆で描かれた作品には《空間構築》というタイトルがつけられているのですが、人間が何をどこまで知覚できるのかを検証して描かれているのではないかと感じました。
《空間構築ー白電話ー》
とても精巧に描かれた鉛筆画なのですが、実物をそのまま描いているわけではなさそうです。
よく見ると数字が描かれているところと描かれていないところがある。
私たちが「これは電話だ」と知覚するとき、ダイヤルは1から0まであるものだと思って1から0まで全ての数字をいちいち確認しないですよね。
内側にも本当は1から0までの数字が書いてあるはずなのですが、私たちはいちいちそれを知覚しない。
だからあえて描かなかったのではないかと。
《空間構築ー黒電話ー》
こちらの電話はさらに描かれていない数字が多い。
黒という色からより一層数字が知覚されにくいってことなのかな。
これらの電話は実際の電話というよりも記憶の中の電話なのかなと思いました。
記憶の中の電話のある空間。
何だか妙に突き刺さるのは実際の電話を真似て描いたのではなく、古賀さんが記憶から知覚した電話だからなのでしょうか。
《空間構築ー羊ー》
この作品の羊も顔から前足にかけては精巧に描かれているのに、後ろ足は輪郭だけ。
「羊って顔を見たらそれと同時に後ろ足まで見てないでしょ。」
と言われているような気がしました。
一度に知覚できるのはこの辺までかなっところまで描かれている気がするんですよ。
実際のところは分からないですが。
《空間構築ー電圧計ー》
《空間構築ータコメーター》
電圧計やタコメーターをこのように描き込んでしまうところも何だか人間性を感じます。
この二つの作品、観れば観るほどしびれますよ。
《空間構築ー廃墟ー》
どこの廃墟ってことまでは書いてありませんでした。
実際にどこかにある場所なのでしょうか。
何だか幾何学模様でも描いたかのような観覧車と鉄塔がたまらないんですよね。
かなり好きな空間になっていて、しばらく浸ってしまいました。
また観に行きたいです。